呻吟語 / 外篇・聖賢・遍く天下を行きて遇ふ可きの君を求む
或問,「孔、孟周流,到處欲行其道,似技癢的?」曰:「聖賢自家看的分數真,天生出我來,抱千古帝王道術,有旋乾轉坤手投,只兀兀家居,甚是自負,所以遍行天下以求遇夫可行之君。既而天下皆無一遇,猶有九夷、浮海之思,公山佛肸之往。
新字:或問,「孔、孟周流,到処欲行其道,似技癢的?」曰:「聖賢自家看的分数真,天生出我来,抱千古帝王道術,有旋乾転坤手投,只兀兀家居,甚是自負,所以遍行天下以求遇夫可行之君。既而天下皆無一遇,猶有九夷、浮海之思,公山仏肸之往。
書き下し
或るひと問ふ、「孔・孟の周流して、到る處に其の道を行はんと欲するは、技癢に似たるか」と。曰く、「聖賢は自家看るの分數真なり。天我を生じ出だすに、千古帝王の道術を抱き、乾を旋らし坤を轉ずるの手段有り。只だ兀兀として家居せば、甚だ是れ自負なり。所以に遍く天下を行きて以て遇ふ可きの君を求む。既にして天下皆な一も遇ふ無くして、猶ほ九夷浮海の思ひ、公山佛肸の往有り」と。
現代語訳
ある人が問いました。孔子や孟子が各地を巡って、行く先々で道を行おうとしたのは、腕が疼いたようなものですか。答えて言う。聖賢は自分の分をはっきり見ています。天が自分を生んだからには、千年の帝王の道術を抱き、天地をひっくり返す手立てを持っている。それをじっと家にこもっているだけでは、それこそ自惚れです。だから天下を巡って、用いてくれる君を探したのです。結局どこにも一人も出会えず、それでも東夷に住もうか海に浮かぼうかと思い、公山や仏肸のもとへ行こうとしました。
解説
孔孟の遍歴を、腕自慢ではなく責任として説明します。天から与えられた手立てを持ちながら家にこもるのは、それこそ自惚れだ、と。逆転した論法が鮮やかです。そして結局誰にも出会えなかったこと、それでもなお行こうとしたことが記されます。次の段で、その理由がさらに説明されます。次の段で、その理由がさらに詳しく説明されます。
この章句が説くこと
遍歴責任自惚れ孔孟用いる
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