呻吟語 / 外篇・世運・聖人は每に勢と忤ふ
勢之所在,天地聖人不能違也。勢來時即摧之,未必遽壞;勢去時即挽之,未必能回。然而聖人每與勢忤,而不肯甘心從之者,人事宜然也。
新字:勢之所在,天地聖人不能違也。勢来時即摧之,未必遽壊;勢去時即挽之,未必能回。然而聖人毎与勢忤,而不肯甘心従之者,人事宜然也。
書き下し
勢の在る所は、天地聖人も違ふ能はざるなり。勢來たる時之を摧かんとするも、未だ必ずしも遽かに壞れず。勢去る時之を挽かんとするも、未だ必ずしも回す能はず。然れども聖人は每に勢と忤ひて、甘心して之に從ふを肯んぜざるは、人事宜しく然るべければなり。
現代語訳
勢いのあるところは、天地も聖人も逆らえません。勢いが来る時に砕こうとしても、すぐには壊れません。勢いが去る時に引き戻そうとしても、戻せません。それでも聖人はいつも勢いに逆らい、甘んじて従おうとはしません。人としてなすべきことが、そうであるからです。
解説
勢いに逆らえないことを認めたうえで、それでも聖人は逆らうと言います。勝てないと分かっていて逆らう理由は、人としてなすべきことだから。前に出てきた、理は一つで気と勢と利は三つだという段と同じ構図です。世運篇の冒頭に、負けを承知で立つという構えが置かれています。世運篇の冒頭に、負けを承知で立つ構えが置かれています。

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勢抵抗聖人人事覚悟
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