呻吟語 / 外篇・聖賢・見に囿はるるなり
至人有聖人之功而無聖人之全者,囿於見也。
書き下し
至人に聖人の功有りて聖人の全無き者は、見に囿はるるなり。
現代語訳
至人に聖人の功はあっても聖人の全きが無いのは、見方に囲われているからです。
解説
至人が全きに達しない理由を、見方の狭さに帰します。功はあるのに全くない。原因は能力でも努力でもなく、囲われた見方です。前に出てきた、囲われた見聞に馴れれば狭くなるという段と同じ語が使われており、最上段に届かない理由が視野の問題として示された一段になっています。最上段に届かない理由が、視野の問題として示されています。
この章句が説くこと
至人全見方囲い視野
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