呻吟語 / 外篇・世運・偽禮文と真簡率
節文度數,聖人之所以防肆也。偽禮文不如真愛敬,真簡率不如偽禮文。偽禮文猶足以成體,真簡率每至於逾閒;偽禮文流而為象恭滔天,真簡率而為禮法掃地。七賢八達,簡率之極也。舉世牛馬而晉因以亡。近世士風祟尚簡率;蕩然無檢,嗟嗟!吾莫知所終矣。
新字:節文度数,聖人之所以防肆也。偽礼文不如真愛敬,真簡率不如偽礼文。偽礼文猶足以成体,真簡率毎至於逾閒;偽礼文流而為象恭滔天,真簡率而為礼法掃地。七賢八達,簡率之極也。舉世牛馬而晋因以亡。近世士風祟尚簡率;蕩然無検,嗟嗟!吾莫知所終矣。
書き下し
節文度數は、聖人の肆を防ぐ所以なり。偽禮文は真愛敬に如かず、真簡率は偽禮文に如かず。偽禮文は猶ほ以て體を成すに足る。真簡率は每に閒を逾ゆるに至る。偽禮文は流れて象恭滔天と為り、真簡率は流れて禮法掃地と為る。七賢八達は、簡率の極みなり。世を舉げて牛馬にして、晉因りて以て亡ぶ。近世の士風は簡率を崇尚し、蕩然として檢無し。嗟嗟、吾其の終はる所を知らず。
現代語訳
作法と度数は、聖人が勝手を防ぐための仕掛けです。取り繕った礼の形は本物の愛敬に及びませんが、本物の飾り気の無さは取り繕った礼の形に及びません。取り繕った礼の形でも、まだ体裁は保てます。本物の飾り気の無さは、いつも枠を越えてしまいます。取り繕った礼は恭しげに見せかけて天まで届く悪となり、飾り気の無さは礼法が地を払う結果になります。竹林の七賢や八達は、飾り気の無さの極みです。世を挙げて牛馬のようになり、晋はそれで滅びました。近ごろの士風は飾り気の無さを尊び、しまりなく歯止めがありません。ああ、どこまで行くのか分かりません。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
-
『五常訓』巻之四・礼一朱子曰、礼は即理の節文なり。いふ意は、万の行、道理にかなひて、過不及なく、程よきを云ふ。飲食の一事をいはば、うゑかわく時に飲み食ふは理なり。されども、飲み食ふべき理なりとて、みだりに多く飲み食へば、放逸にして、みだりがはしく、又必病を生ず。飲み食ふべき理にあたりて、過不及なく、よき程なるが、理の節文なり。万の事、是を以て知るべし。
-
『五常訓』巻之四・礼一礼記に、子曰、敬ひて礼にあたらざる、これを野と云ふ。敬ふは誠によけれど、礼にかなはざれば、これ野きなり。敬によき程の法あり。過不及ありて、其法にかなはざるは、是礼にあたらざるなり。況やおごりて理にかなはざるは、ことに礼にそむけり。野きより、其害甚し。
-
『弁名』禮礼は道の名なり。先王の制作する所の四教・六芸、是れ其の一に居る。所謂経礼三百、威儀三千、是れ其の物なり。六芸は、書・数は庶人の官に在る者、府・史・胥・徒の専ら務むる所と為す。御も亦た士の職とする所なり。射は諸侯に通ずと雖も、其の所謂射は、礼楽を以て之を行ふ、民の射の皮を主とする者の比に非ず。唯だ礼楽のみ乃ち芸の大なる者にして、君子の務むる所なり。而して楽は伶官に掌られ、君子以て徳を養ふのみ。礼に至りては則ち君子此を以て顕業と為す。是を以て孔子少くして礼を知るを以て称せられ、周に之きて礼を老聃に問ひ、杞に之き宋に之き、唯だ礼を之れ求む。子夏の記す所、曾子の問ふ所、七十子皆礼に断断たり。檀弓の諸篇に見ゆ。三代の君子の礼を務むる、以て見るべきのみ。
-
『五常訓』巻之四・礼一威儀をつつしみ、衣冠を正しくし、視ること、聴くこと、言ふこと、動くことの四事につきて、各過不及なく、よき程の法あり。又親につかへ、君につかふるに、各さだまれる法あり。兄弟、夫婦に対し、賓客にまじはり、臣下に対し、民をつかひ、先祖鬼神をまつるも法あり。是礼は、皆天理のよき程なる節文にして、人事の定まれる作法なり。仁義皆理なりといへども、とりわき礼を理といへるに子細あり。理とは行ふべきすぢめなり。万事を行ふに、皆定まりたる作法あり。是人の行ふべきすぢめなり。是即礼なり。ここを以て聖人の説き給へる礼の字は、理の字にあたれり。然れども理といはずして礼といへるに、子細あり。理といへば形と事にあらはれたる迹なくして、虚なり。
-
『弁名』禮是の礼楽の教は、黙して之を識るに在りと雖も、然れども人の知、至る有り、至らざる有り。故に孔子時有りてか、一隅を挙げて以て其の義を語る。義とは先王の礼を制する所以の義、戴記に載する所皆是れのみ。祇だ人の知、至る有り、至らざる有り。故に七十子の先王を信ずる、孔子の先王を信ずるに及ばず。其の人の七十子を信ずるも、亦た七十子の孔子を信ずるに及ばず。故に其の人に喩さんと欲するの急なる、其の義を論説して已まず。日に以て蔓衍し、以て戦国の時に至りて、義遂に礼を離れて孤行し、復た礼に就きて其の義を言はず。孟子の書を観て見るべきのみ。此れより其の後、古を去ること益〻遠く、義理の説益〻盛んに、囂然として以て天下を乱し、先王・孔子の教、蕩乎として尽く。悲しいかな。