呻吟語 / 外篇・天地・太和我に在らば天地我に在り
太和在我,則天地在我,何動不臧?何往不得?
書き下し
太和我に在らば、則ち天地我に在り。何ぞ動きて臧からざらん、何ぞ往きて得ざらん。
現代語訳
大いなる和が自分にあれば、天地が自分にあります。どんな動きが善くないでしょうか、どこへ行って得られないでしょうか。
解説
天地篇の議論を、自分の側へ引き寄せます。太和が自分にあれば天地が自分にある、と。外の天地を観察してきた流れの中で、その性質を内に持つことが目標として示されます。そして動けば善く、行けば得るという結論が続く。天地を論じることが、結局は自分を整える話だったと分かる一段です。天地を論じることが、結局は自分を整える話だったと分かります。

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太和内在天地行動成果
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