呻吟語 / 外篇・天地・當然・自然・偶然の天
以理言之,則當然者謂之天,命有德討有罪,奉三尺無私是已;以命言之,則自然者謂之天,莫之為而為,莫之致而至,定於有生之初是已;以數言之,則偶然者謂之天,會逢其適,偶值其際是已。
新字:以理言之,則当然者謂之天,命有徳討有罪,奉三尺無私是已;以命言之,則自然者謂之天,莫之為而為,莫之致而至,定於有生之初是已;以数言之,則偶然者謂之天,会逢其適,偶値其際是已。
書き下し
理を以て之を言へば、則ち當然なる者之を天と謂ふ。德有るに命じ罪有るを討ち、三尺を奉じて私無き是れなり。命を以て之を言へば、則ち自然なる者之を天と謂ふ。之を為す莫くして為り、之を致す莫くして至り、有生の初めに定まる是れなり。數を以て之を言へば、則ち偶然なる者之を天と謂ふ。其の適に會逢し、其の際に偶值する是れなり。
現代語訳
理から言えば、当然そうであるものを天と言います。徳ある者に命じ罪ある者を討ち、法を奉じて私が無いというのがそれです。命から言えば、自然にそうであるものを天と言います。誰がするでもなく成り、誰が招くでもなく至り、生まれた初めに定まっているというのがそれです。数から言えば、たまたまそうであるものを天と言います。ちょうど行き合い、その時に偶然出くわすというのがそれです。
解説
天という一語を、三つの見方で分けます。理から見れば当然、命から見れば自然、数から見れば偶然。同じ出来事も、どの角度から見るかで呼び名が変わるということです。天を一つのものとして論じると混乱する議論が、この三分けで整理されます。前に出てきた当然自然偶然の三段とも重なる一段です。天を一つのものとして論じる混乱が、三分けで整理されます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
天理命数当然自然偶然
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