呻吟語 / 外篇・天地・一陰一陽を道と謂ふ
一陰一陽之謂道。二陰二陽之謂駁。陰多陽少、陽多陰少之謂偏。有陰無陽、有陽無陰之謂孤。一陰一陽,乾坤兩卦,不二不雜,純粹以精,此天地中和之氣,天地至善也。是道也,上帝降衷,君子衷之。是故繼之即善,成之為性,更無偏駁,不假修為,是一陰一陽屬之君子之身矣。故曰,君子之道,仁者見之謂之仁,智者見之謂之智,此之謂偏。百勝日用而不知,此之謂駁。至於孤氣所生,大乖常理。孤陰之善,慈悲如母,惡則險毒如虺;孤陽之善,嫉惡如仇,惡則凶橫如虎。此篇夫子論性純以善者言之,與性相近,稍稍不同。
新字:一陰一陽之謂道。二陰二陽之謂駁。陰多陽少、陽多陰少之謂偏。有陰無陽、有陽無陰之謂孤。一陰一陽,乾坤両卦,不二不雑,純粋以精,此天地中和之気,天地至善也。是道也,上帝降衷,君子衷之。是故継之即善,成之為性,更無偏駁,不仮修為,是一陰一陽属之君子之身矣。故曰,君子之道,仁者見之謂之仁,智者見之謂之智,此之謂偏。百勝日用而不知,此之謂駁。至於孤気所生,大乖常理。孤陰之善,慈悲如母,悪則険毒如虺;孤陽之善,嫉悪如仇,悪則凶横如虎。此篇夫子論性純以善者言之,与性相近,稍稍不同。
書き下し
一陰一陽之を道と謂ふ。二陰二陽之を駁と謂ふ。陰多く陽少なく、陽多く陰少なきを之れ偏と謂ふ。陰有りて陽無く、陽有りて陰無きを之れ孤と謂ふ。一陰一陽、乾坤の兩卦は、不二不雜にして純粹以て精なり。此れ天地中和の氣、天地の至善なり。孤氣の生ずる所に至りては、大いに常理に乖く。孤陰の善は、慈悲なること母の如く、惡なれば則ち險毒なること虺の如し。孤陽の善は、惡を嫉むこと仇の如く、惡なれば則ち凶橫なること虎の如し。
現代語訳
一つの陰と一つの陽を道と言います。二つの陰と二つの陽を混じりと言います。陰が多く陽が少ない、陽が多く陰が少ないのを偏りと言います。陰があって陽が無い、陽があって陰が無いのを孤と言います。一陰一陽、乾坤の二つの卦は、二つでなく混じらず、純粋で精しい。これが天地の中和の気であり、天地の最上の善です。孤の気から生まれたものは、大いに常の理に外れます。孤陰の善は母のように慈しみ深く、悪であれば蝮のように険しく毒々しい。孤陽の善は仇のように悪を憎み、悪であれば虎のように凶暴です。
解説

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『呻吟語』内篇・談道・一陰一陽之を道と謂ふ「二女同居すれば、其の志行を同じくせず」とは、孤陽を見ればなり。若し陽無くんば、則ち二女何ぞ行を同じくせざることか之れ有らん。二陽同居すれば、其の志行を同じくするは、陰を見ざればなり。若し孤陰を見れば、則ち二男も亦た以て同居す可からず。故に曰く「一陰一陽之を道と謂ふ」と。六爻は陰陽の偏を具ふと雖も、然れども各おの一體を成す。故に嫌ひ無し。
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易経・繋辞上一陰一陽、之を道と謂う。之を継ぐ者は善なり、之を成す者は性なり。仁者は之を見て之を仁と謂い、知者は之を見て之を知と謂う。百姓は日々用いて知らず、故に君子の道は鮮(すく)なし。諸(これ)を仁に顕わし、諸を用に蔵し、万物を鼓して聖人と憂いを同じくせず、盛徳大業至れるかな。富有、之を大業と謂い、日新、之を盛徳と謂う。生生、之を易と謂い、成象、之を乾と謂い、法に效(なら)う、之を坤と為す。数を極めて来たるを知る、之を占と謂い、変に通ずる、之を事と謂い、陰陽測られざる、之を神と謂う。
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『慎思録』巻之四一陰一陽、之を道と謂ふ。之を継ぐ者は善なり。之を成す者は性なり、と。継ぐとは、一陰一陽互ひに相接続して、天道の行はるるを言ふなり。此れ善と為すべし。若し之を継がざれば、則ち其の常を失ひて、道の行はれざるなり。善と為すべからず。是を以て陰陽は本自ら善なることを見るべし。苟も継ぎて行はれざれば、是れ変乱なり。善と為すべからず。
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『慎思録』巻之四理と気とは一にして二、二にして一なり。同じくして異なりと謂ふべし。故に善く理を観る者は、陰陽に就きて之を言ひて、其の理を失はず。理を以て主と為すに由るなり。気は是れ理の運用、理は是れ気の本主なり。易に曰く、一陰一陽、之を道と謂ふ、と。又曰く、天の道を立つ、曰く陰と陽と、と。是れ気に就きて道を見るなり。道と陰陽とは決して是れ二物に非ざることを見るべし。混同して間無きなり。其の混同して間無きの中に、至理有りて之を主宰す。如し或いは陰陽を離れて道を言ひ、或いは陰陽を主として道を言ふ者は、道を知る者に非ざるなり。陰陽を離れて道を言ふ者は、風を係ぎ影を捕ふるが如し。此れ異学空虚の説なり。其の言は妄誕為り。陰陽を主として道を言ふ者は、糟粕を甘しとして醍醐を舎つるが如し。是れ方技術数の説なり。其の言は鄙陋為り。皆此れ道の至理にして陰陽の主為ることを知らざるなり。苟も此の意を理会せば、則ち陰陽を合して道と為すも、固より可なり。陰陽を以て器と為すも、亦た可なり。故に明道曰く、器も亦た道、道も亦た器、と。苟も陰陽を離れて道と為さば則ち不可なり。蓋し理無きの気無く、気無きの理無きに由るなり。
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『慎思録』巻之四術者の陋なり。陰陽を指して道と為すは、猶ほ天地を指して道と為し、聖人を指して道と為すがごとし。此れ道の在る所を以て言ふ。其の実、天地陰陽は即ち是れ道の存する所にして、還た是れ道中に在る所の物なり。蓋し道を以て主と為して之を言へば、則ち天地万物は皆是れ道中の物なり。天地万物を以て主と為して之を言へば、則ち道は天地万物の中に在りて、之が主為る者なり。陰陽の如きは、則ち又天地万物の比に非ず。同異離合を以て之を言ふべからず。故に易に陰陽を以て道を言ふは、此を以てなり。
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『慎思録』巻之四天地の間、只だ一箇の道有るのみ。更に何物か有らんや。或ひと曰く、陰陽は是れ道と相対す。何ぞ只だ一箇の道有るのみと言ふや、と。曰く、陰陽も亦た是れ道中に備はる所の物なり。道に非ざるは莫し。道とは、天地の主宰なり、統ぶる所を以て言ふ。陰陽の綱紀なり、経緯錯綜を以て言ふ。万物の根柢なり、生ずる所を以て言ふ。人身の徳行なり、禀受すると率循するとを以て言ふ。天地とは、道の郛廓なり、載する所を以て言ふ。陰陽とは、道の権力なり、運用を以て言ふ。四時とは、道の流行なり、転化を以て言ふ。万物とは、道の形体なり、寓する所を以て言ふ。道なる者は、天地を主宰し、陰陽を総摂し、万物を化生する所以の者なり。其の流行を以て、之を道と謂ふ。其の気を主りて条貫有るを以て、又之を理と謂ふ。其の実は道と理と一なり。其の指す所有るを以て名を異にするのみ。此の理は陰陽の主と為りて相離れず。理の気有るは、猶ほ人の四体有るがごとし。故に理を言へば、則ち気其の中に在りて、離合すべからず。蓋し気無きの理無く、又理無きの気無し。