呻吟語 / 外篇・天地・人當に天に法るべし
天極從容,故三百六十日為一噓吸;極次第,故溫暑涼寒不驀越而雜至;極精明,故晝有容光之照而夜有月星;極平常,寒暑旦夜、生長收藏,萬古如斯而無新奇之調;極含蓄,並包萬象而不見其滿塞;極沉默,無所不分明而無一言;極精細,色色象象條分縷析而不厭其繁;極周匹,疏而不漏;極凝定,風雲雷雨變態於胸中,悲歡叫號怨德於地下,而不惡其擾;極通變,普物因材不可執為定局;極自然,任陰陽氣數理勢之所極所生,而已不與;極堅耐,萬古不易而無欲速求進之心,消磨曲折之患;極勤敏,無一息之停;極聰明,亙古今無一人一事能欺罔之者,極老成,有虧欠而不隱藏;極知足,滿必損,盛必定;極仁慈,雨露霜雪無非生物之心;極正直,始終計量,未嘗養人之奸、容人之惡;極公平,抑高舉下,貧富貴賤一視同仁;極簡易,無瑣屑曲局示人以繁難;極雅淡,青蒼自若,更無炫飾;極靈爽,精誠所至,有感必通;極謙虛,四時之氣常下交;極正大,擅六合之恩威而不自有;極誠實,無一毫偽妄心,虛假事;極有信,萬物皆任之而不疑。故人當法天。人,天所生也。如之者存,反之者亡,本其氣而失之也。
新字:天極従容,故三百六十日為一噓吸;極次第,故温暑涼寒不驀越而雑至;極精明,故昼有容光之照而夜有月星;極平常,寒暑旦夜、生長収蔵,万古如斯而無新奇之調;極含蓄,並包万象而不見其満塞;極沈黙,無所不分明而無一言;極精細,色色象象条分縷析而不厭其繁;極周匹,疏而不漏;極凝定,風雲雷雨変態於胸中,悲歓叫号怨徳於地下,而不悪其擾;極通変,普物因材不可執為定局;極自然,任陰陽気数理勢之所極所生,而已不与;極堅耐,万古不易而無欲速求進之心,消磨曲折之患;極勤敏,無一息之停;極聰明,亙古今無一人一事能欺罔之者,極老成,有虧欠而不隠蔵;極知足,満必損,盛必定;極仁慈,雨露霜雪無非生物之心;極正直,始終計量,未嘗養人之奸、容人之悪;極公平,抑高舉下,貧富貴賤一視同仁;極簡易,無瑣屑曲局示人以繁難;極雅淡,青蒼自若,更無炫飾;極霊爽,精誠所至,有感必通;極謙虚,四時之気常下交;極正大,擅六合之恩威而不自有;極誠実,無一毫偽妄心,虚仮事;極有信,万物皆任之而不疑。故人当法天。人,天所生也。如之者存,反之者亡,本其気而失之也。
書き下し
天は極めて從容なり、故に三百六十日を以て一噓吸と為す。極めて次第あり、故に溫暑涼寒驀越して雜至せず。極めて平常なり、故に寒暑旦夜、生長收藏、萬古斯くの如くにして新奇の調無し。極めて含蓄なり、萬象を並包して其の滿塞を見ず。極めて沉默なり、分明ならざる所無くして一言無し。極めて凝定なり、風雲雷雨胸中に變態し、悲歡叫號地下に怨德すれども、其の擾を惡まず。極めて自然なり、陰陽氣數理勢の極まる所生ずる所に任せて已は與らず。極めて聰明なり、古今に亙りて一人一事も能く之を欺罔する者無し。故に人當に天に法るべし。
現代語訳
天はきわめてゆったりしています。だから三百六十日を一呼吸とします。きわめて順序立っています。だから温暖と暑さ涼しさ寒さが順を飛ばして混ざりません。きわめて平常です。だから寒暑と昼夜、生長と収蔵が万古そのままで、目新しい調子がありません。きわめて含み深い。万象をすべて包みながら、満ちてふさがる様子を見せません。きわめて沈黙しています。分からないところが一つも無いのに、一言も発しません。きわめて定まっています。風雲雷雨が胸の中で変わり、悲しみや叫びや怨みが地上で起きても、その騒がしさを嫌いません。きわめて自然です。陰陽や気数や理勢が極まり生ずるに任せて、自分は関わりません。きわめて聡明です。古今を通じて一人一事も欺けた者がありません。だから人は天に倣うべきです。
解説

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