呻吟語 / 外篇・天地・天地も亦た之を如何ともする無し
先天立命處,是萬物自具的,天地只是個生息培養。只如草木原無個生理,天地好生亦無如之何。
新字:先天立命処,是万物自具的,天地只是個生息培養。只如草木原無個生理,天地好生亦無如之何。
書き下し
先天立命の處は、是れ萬物自ら具ふる的なり。天地は只だ是れ個の生息培養なり。只だ草木の原と個の生理無きが如きは、天地好生なるも亦た之を如何ともする無し。
現代語訳
先天に命が立つところは、万物が自分で備えているものです。天地はただ生かし育てるだけです。草木にもともと生きる筋道が無ければ、天地がどれほど生を好んでも、どうしようもありません。
解説
天地の働きに限界を設けます。生かし育てることはできるが、生きる筋道そのものは与えられない。それは万物が初めから備えているものだからです。教育や援助の限界を語る一段としても読めます。育てる側にできるのは環境を整えることまでで、根が無いものは育たないという厳しい現実です。育てる側にできるのは、環境を整えるところまでです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
先天限界育成根天地
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