呻吟語 / 内篇・養生・婦人の仁
以肥甘愛兒女而不思其傷身,以姑息愛兒女而不恤其敗德,甚至病以死,患大辟而不知悔者,皆婦人之仁也。噫!舉世之自愛而陷於自殺者,又十人而九矣。
新字:以肥甘愛児女而不思其傷身,以姑息愛児女而不恤其敗徳,甚至病以死,患大辟而不知悔者,皆婦人之仁也。噫!舉世之自愛而陥於自殺者,又十人而九矣。
書き下し
肥甘を以て兒女を愛して其の身を傷るを思はず、姑息を以て兒女を愛して其の德を敗るを恤へず、甚だしきは病みて以て死し、大辟を患へて悔ゆるを知らざる者は、皆な婦人の仁なり。噫、世を舉げて自ら愛して自ら殺すに陷る者、又た十人にして九なり。
現代語訳
うまい物と脂で子を愛して身を損なうことを考えず、その場しのぎで子を愛して徳を壊すことを気にかけず、ひどい場合は病んで死に、大罪に問われても悔いることを知らない。これはみな婦人の仁です。ああ、世を挙げて自分を愛しながら自分を殺すに至る者が、十人のうち九人です。
解説
甘やかしを、愛の名を借りた害として描きます。美食で身を損ない、その場しのぎで徳を壊す。どちらも本人は愛しているつもりです。そして後半で話が自分に返ります。自分を愛しながら自分を殺す者が十人のうち九人。子への甘やかしと、自分への甘やかしが同じ構造だと示した一段になっています。子への甘やかしと、自分への甘やかしが同じ構造です。
この章句が説くこと
甘やかし愛自愛自害姑息
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