呻吟語 / 内篇・養生・魚は餌を見て鉤を見ず
夫魚見餌不見鉤,虎見羊不見阱。猩猩見酒不見人,非不見也,迷於所美而不暇顧也。此心一冷,則熱鬧之景不能入;一淡,則豔冶之物不能動。夫能知困窮、抑鬱、貧賤,坎坷之為詳,則可與言道矣。
新字:夫魚見餌不見鉤,虎見羊不見阱。猩猩見酒不見人,非不見也,迷於所美而不暇顧也。此心一冷,則熱鬧之景不能入;一淡,則豔冶之物不能動。夫能知困窮、抑鬱、貧賤,坎坷之為詳,則可与言道矣。
書き下し
夫れ魚は餌を見て鉤を見ず、虎は羊を見て阱を見ず、猩猩は酒を見て人を見ず。見ざるに非ざるなり、美とする所に迷ひて顧みるに暇あらざるなり。此の心一たび冷ゆれば、則ち熱鬧の景入る能はず。一たび淡ければ、則ち豔冶の物動かす能はず。夫れ能く困窮・抑鬱・貧賤・坎坷の詳爲るを知らば、則ち與に道を言ふ可し。
現代語訳
魚は餌を見て釣り針を見ず、虎は羊を見て落とし穴を見ず、猩猩は酒を見て人を見ません。見えていないのではなく、美しいと思うものに迷って、顧みる暇が無いのです。この心がひとたび冷えれば、賑わいの景色は入ってきません。ひとたび淡くなれば、艶やかな物も動かせません。行き詰まりや気鬱、貧しさや浮き沈みが、実は幸いだと知れるなら、その人とは道を語れます。
解説
餌と釣り針、羊と落とし穴、酒と人。三つの組で、目に入っているのに見えない仕組みを示します。見えないのではなく顧みる暇が無い。そして対策は心を冷やし淡くすることです。最後の一句が効いていて、逆境を幸いと知れる人となら道を語れると言う。前に出てきた、苦しみを当然と見よという段と同じ立場です。逆境を幸いと知れる人となら道を語れる、という結びです。
この章句が説くこと
誘惑盲点餌冷淡逆境
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