呻吟語 / 内篇・存心・靜を主として動を慎む
動時只見發揮不盡,那裡覺錯?故君子主靜而慎動。主靜,則動者靜之枝葉也;慎動,則動者靜之約束也。又何過焉?
新字:動時只見発揮不尽,那裡覚錯?故君子主静而慎動。主静,則動者静之枝葉也;慎動,則動者静之約束也。又何過焉?
書き下し
動く時は只だ發揮し盡くさざるを見る、那裡にか錯るを覺えん。故に君子は靜を主として動を慎む。靜を主とすれば、則ち動は靜の枝葉なり。動を慎めば、則ち動は靜の約束なり。又何の過ちかあらん。
現代語訳
動いているときは、発揮しきれないことばかりが目につきます。どこに誤りがあると気づけましょうか。ですから君子は静を主として動を慎みます。静を主とすれば、動は静の枝葉になります。動を慎めば、動は静の枠の中に収まります。それならどんな過ちがあるでしょうか。
解説
動いている最中に誤りに気づけない理由が示されます。発揮しきれないことばかりが目につくから、と。足りなさばかり見えて、間違いが見えないという状態です。そこで静と動の関係が二通りに言い直されます。静を主とすれば動は枝葉になり、動を慎めば動は静の枠に収まる。主従と枠という二つの形で、動きを静けさの下に置く構えが説明されています。
この章句が説くこと
動盲点主静慎動枠
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