呻吟語 / 内篇・應務・義に到らば何ぞ此の頭を斷つを妨げん
生來不敢拂吾髮,義到何妨斷此頭。
新字:生来不敢払吾髪,義到何妨断此頭。
書き下し
生まれ來たりて敢へて吾が髮を拂はず、義に到らば何ぞ此の頭を斷つを妨げん。
現代語訳
生まれてこのかた、自分の髪一筋も粗末にしたことはありません。しかし義に至れば、この首を斬られても何の差し支えがあるでしょうか。
解説
孝経の、身体髪膚は父母から受けたものだから傷つけないという一句を前提にします。だから髪一筋も粗末にしない。それでいて義の場面では首を差し出すと言います。最も小さいものと最も大きいものを並べることで、日々の自愛と、いざという時の覚悟が矛盾しないと示した一段です。應務篇の終わり近くに置かれた、力のある対句になっています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
身体髪膚義覚悟自愛対句
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