呻吟語 / 内篇・應務・只だ一半を信じ得可し
毅然奮有為之志,到手來只做得五分。渠非不自信,未臨事之志向雖篤,既臨事之力量不足也。故平居觀人以自省,只可信得一半。
新字:毅然奮有為之志,到手来只做得五分。渠非不自信,未臨事之志向雖篤,既臨事之力量不足也。故平居観人以自省,只可信得一半。
書き下し
毅然として有為の志を奮ふも、手に到り來たれば只だ五分を做し得るのみ。渠自ら信ぜざるに非ず、未だ事に臨まざるの志向は篤しと雖も、既に事に臨むの力量足らざればなり。故に平居人を觀て以て自ら省みるも、只だ一半を信じ得可し。
現代語訳
毅然として事をなそうという志を奮っても、いざ手元に来れば五分しかできません。本人が自分を信じていなかったのではなく、事に臨む前の志は篤くても、いざ臨んだ時の力量が足りないからです。だから普段に人を観て自分を省みるとしても、半分しか信じられません。
解説
志と実行の差を、五分という具体的な数字で示します。しかも本人の誠実さは疑っていません。足りないのは力量であり、それは事に臨むまで分かりません。そして結論として、平時の観察は半分しか当てにならないとされます。前に出てきた、事に遭わなければ誰でも善人に見えるという段と同じ立場です。平時の観察は、半分しか当てにならないということです。

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