呻吟語 / 内篇・應務・淚に因りて發する者
以淚而發者,必以無而癈,此不自涵養中來,算不得有根本底學者。涵養中人,遇當為之事,來得不徙,若懶若遲,持得甚堅,不移不歇。彼攘臂抵掌而任天下之事,難說不是義氣,畢竟到盡頭處不全美。
新字:以涙而発者,必以無而癈,此不自涵養中来,算不得有根本底学者。涵養中人,遇当為之事,来得不徙,若懶若遅,持得甚堅,不移不歇。彼攘臂抵掌而任天下之事,難説不是義気,畢竟到尽頭処不全美。
書き下し
淚に因りて發する者は、必ず無に因りて癈す。此れ涵養の中より來たらずんば、根本有る底の學者と算へ得ず。涵養中の人は、當に為すべきの事に遇へば、來ること徙ならず、懶きが若く遲きが若し。持すること甚だ堅く、移らず歇まず。彼の臂を攘げ掌を抵ちて天下の事に任ずるは、義氣に非ずと說き難し。畢竟盡頭の處に到れば全美ならず。
現代語訳
勢いによって奮い立った者は、必ずその勢いが無くなって廃れます。それが養いの中から出てきたものでなければ、根本のある学ぶ者とは数えられません。養いのある人は、なすべき事に出会っても移り気にならず、怠けているようにも遅いようにも見えます。しかし保つことはきわめて堅く、動かず止まりません。腕まくりして手を打ち鳴らし天下の事を引き受ける者を、義気でないとは言いにくい。しかし結局、行き着くところまで来れば全き美にはなりません。
解説
勢いで始めたものは勢いが消えれば終わる、という当然の帰結から始まります。そして養いのある人の姿が描かれます。怠けて遅いように見えて、動かず止まらない。外から見た印象が正反対なのが要点です。腕まくりして引き受ける姿を義気だと認めつつ、最後まで美しくはならないと結びます。外から見た印象が、正反対になるのが要点です。
この章句が説くこと
勢い涵養持続印象義気
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