墨子 / 公孟
二三子復於子墨子曰:「告子勝為仁。」子墨子曰:「未必然也!告子為仁,譬猶跛以為長,隠以為廣,不可久也。」
新字:二三子復於子墨子曰:「告子勝為仁。」子墨子曰:「未必然也!告子為仁,譬猶跛以為長,隠以為広,不可久也。」
書き下し
二三子、子墨子に復して曰く、「告子は仁を為すに勝えたり」と。子墨子曰く、「未だ必ずしも然らざるなり。告子の仁を為すは、譬うれば猶お跛にして以て長しと為し、隠にして以て廣しと為すがごとし。久しかる可からざるなり」と。
現代語訳
門人たちが墨子に報告した。「告子は仁を行うのに優れています」。墨子が言った。「必ずしもそうとは限らない。告子が仁を行うのは、たとえば足の不自由な者が自分を背が高いと言い、狭いところにいる者が自分を広いと言うようなものだ。長くは続かない」。
解説
前の一段では告子を弁護した墨子が、ここでは評価を抑えます。無理な姿勢で背伸びしているものは長続きしない、という見方です。批判する者を排除しないことと、その人を高く評価することは別だ、という線引きにもなっています。人物評を、その場の印象ではなく続けられるかどうかで見る視点です。守るのと持ち上げるのは、別々に判断できます。
この章句が説くこと
持続評価無理人物印象
関連する章句
-
尚書・咸有一德七世の廟は、以て徳を観るべし。万夫の長は、以て政を観るべし。
-
『呻吟語』内篇・應務・紆徐柔和なる者は多く長し天下の物、紆徐柔和なる者は多く長く、迫切躁急なる者は多く短し。故に烈風驟雨に崇朝の威無く、暴漲狂瀾に三日の勢無く、催拍促調は百板の聲に非ず、疾策緊銜は千里の轡に非ず。人生の壽夭禍福も一として然らざる無し。褊急なる者は以て思ふ可し。
-
『驢鞍橋』卷上師亦曰く、其辺にては若き衆、法を聞き伎量過ぐると云ふ沙汰なしや。我少しあぶなく思ふ也。彼人、沙汰無しと云ふ。師亦曰、其地の何某は此前死苦に責られける間、今に頼敷思ふが、弥修行募りて見ゆるや。彼人、今程沙汰もなしと云ふ。師曰、一一死死の来る事有りとも油断し、娑婆すきに成りたらば、跡もなくなるへし。少々死の来る様也共、ひしと死機に成る事は、功を積まずんば有るべからす。我も六十余りにして慥に是れを知ると也。
-
老子・第23章希言は自然なり。故に飄風は朝を終えず、驟雨は日を終えず。孰か此を為す者ぞ。天地なり。天地すら尚お久しきこと能わず、而るを況んや人に於いてをや。故に道に従事する者は、道者は道に同じく、徳者は徳に同じく、失者は失に同じくす。道に同じくする者は、道も亦た之を得るを楽しみ、徳に同じくする者は、徳も亦た之を得るを楽しみ、失に同じくする者は、失も亦た之を得るを楽しむ。信足らざれば、信ぜられざること有り。
-
『正法眼蔵随聞記』巻四古人の云く、日月あきらかなれども浮雲是れをおほふ、叢蘭茂せんとすれども秋風吹て是れをやぶると、貞観政要にこれを引て賢王と悪臣とに喩ふ、今ま云く、浮雲をおふとも久しからず、秋風破ふるとも亦開くべし、臣わるくとも、王の賢强くんば転せらるべからず、今ま仏道を存せんことも、亦かくの如くなるべし、いかに悪心おこるとも、かたく守り久く保たば、浮雲もきえ秋風も止まるべきの道理なり一日示して云く、学人初心のときは、道心ありても無ても、経論聖教等を能々見るべし、まなぶべし、
-
『囲炉夜話』第百三十則・川は海を學びて海に至る川は海を學びて海に至る、故に道を謀る者は、止心有るべからず。 莠は苗に非ずして苗に似たり、故に理を窮むる者は、真見無かるべからず。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る