呻吟語 / 内篇・應務・忍びて楊朱と謂ふを得ず
閉戶於鄉鄰之鬥,雖有解紛之智,息爭之力,不為也,雖忍而不得謂之楊朱。忘家於懷襄之時,雖有室家之憂,骨肉之難,不顧也,雖勞而不得謂之墨翟。
新字:閉戸於郷鄰之鬥,雖有解紛之智,息争之力,不為也,雖忍而不得謂之楊朱。忘家於懐襄之時,雖有室家之憂,骨肉之難,不顧也,雖労而不得謂之墨翟。
書き下し
鄉鄰の鬥ひに戶を閉ざすは、紛を解くの智、爭ひを息むるの力有りと雖も、為さざるなり。忍ぶと雖も之を楊朱と謂ふを得ず。懷襄の時に家を忘るるは、室家の憂ひ、骨肉の難有りと雖も、顧みざるなり。勞すと雖も之を墨翟と謂ふを得ず。
現代語訳
隣近所の喧嘩に戸を閉ざすのは、もつれを解く智恵も争いを止める力もあってのことでも、しないのです。冷たく見えても、それを楊朱の利己とは言えません。洪水の時に家を忘れるのは、家の憂いも肉親の難儀もあるのに顧みないのです。骨を折っていても、それを墨翟の兼愛とは言えません。
解説
同じ行いでも、場面が変われば評価が変わることを示します。喧嘩に関わらないのは利己ではなく、洪水で家を顧みないのは博愛の教条ではない。どちらも禹が治水に当たった故事を踏まえています。極端に見える行いを、思想ではなく場面の必然として説明した一段で、人の行動を思想で分類する癖を退けています。人の行動を思想で分類する癖を、退けています。

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場面楊朱墨翟判断分類
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