呻吟語 / 内篇・應務・時を識るは易く、勢を識るは難し
明義理易,識時勢難;明義理腐儒可能,識時勢非通儒不能也。識時易,識勢難;識時見者可能,識勢非蚤見者不能也。
書き下し
義理に明らかなるは易く、時勢を識るは難し。義理に明らかなるは腐儒も能くす可し、時勢を識るは通儒に非ざれば能はざるなり。時を識るは易く、勢を識るは難し。時を識るは見る者も能くす可し、勢を識るは蚤く見る者に非ざれば能はざるなり。
現代語訳
義理に明らかであることは易しく、時勢を知ることは難しい。義理に明らかであることはかび臭い儒者にもできますが、時勢を知ることは通じた儒者でなければできません。時を知ることは易しく、勢いを知ることは難しい。時を知ることは見える者にもできますが、勢いを知ることは早く見る者でなければできません。
解説
難易を二段階でさかのぼります。義理より時勢が難しく、時より勢いが難しい。そして最後に、勢いを知るには早く見る力が要るとされます。今どうなっているかは誰でも見えるが、どちらへ向かっているかは兆しの段で掴むしかないからです。知識と洞察の差が、はっきり段づけられた一段になっています。知識と洞察の差が、はっきり段づけられた一段です。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
義理時勢勢兆し段階
関連する章句
-
孫子・勢篇故に戦いを善くする者の勢は、円石を千仞の山より転ずるが如きなり。
-
『韓非子』難勢第四十夫れ良馬固車も、臧獲をして之を御せしむれば則ち人の笑ひと為り、玉良之を御すれば而ち日に千里を取る。車馬異なるに非ざるなり、或いは千里に至り、或いは人の笑ひと為る、則ち巧拙相去ること遠し。
-
孫子・勢篇故に善く戦う者は、之を勢に求めて人に責めず。故に能く人を択びて勢に任ず。
-
『韓非子』外儲説右上第三十四故に市の木の価は、山より貴きを加へず。沢の魚塩亀鼈蠃𧉻は、海より貴からず。君は重く斂めて、田成氏は厚く施す。斉嘗て大いに饑ゑ、道旁に餓死する者勝げて数ふ可からざるなり、父子相牽きて田成氏に趨く者は生きざるを聞かず。故に秦周の民相与に之を歌ひて曰く、『謳はんか、其れ已まんか。苞はんか、其れ往きて田成子に帰せんか』と。『詩』に曰く、『女に与ふる徳無しと雖も、式て歌ひ且つ舞はん』と。今田成氏の徳ありて民之に歌舞す、民の徳之に帰す。故に曰く、『其れ田成氏か』と」と。公泫然として涕を出して曰く、「亦悲しからずや。寡人国を有ちて田成氏之を有たんとす。今之を為すこと奈何」と。晏子対へて曰く、「君何ぞ患へん。若し君之を奪はんと欲せば、則ち賢に近づきて不肖を遠ざけ、其の煩乱を治め、其の刑罰を緩め、貧窮を振ひて孤寡を恤み、恩恵を行ひて不足に給せば、民将に君に帰せんとす、則ち十田成氏有りと雖も、其れ君を如何せん」と。或ひと曰く、景公は勢を用ふることを知らず、而して師曠・晏子は患を除くことを知らず。夫れ猟する者は、車輿の安きに託し、六馬の足を用ひ、王良をして轡を佐けしむれば、則ち身労せずして軽獣に及び易し。今車輿の利を釈て、六馬の足と王良の御とを捐てて、下りて走りて獣を逐はば、則ち楼季の足と雖も時として獣に及ぶ無し。良馬固車に託すれば、則ち臧獲も余り有り。国なる者は、君の車なり。勢なる者は、君の馬なり。夫れ勢に処りて以て擅愛の臣を禁誅せずして、必ず徳厚くして以て天下と行を斉しくして以て民を争ふは、是れ皆君の車に乗らず、馬の利に因らず、車を舍てて下り走る者なり。故に曰く、景公は勢を用ふることを知らざるの主なり、而して師曠・晏子は患を除くことを知らざるの臣なり、と。子夏曰く、「『春秋』の臣の君を殺し、子の父を殺すを記するは、十を以て数ふ。皆一日の積に非ず、漸有りて以て至るなり」と。
-
『韓非子』喻老第二十一孫叔敖の謂なり。制己に在るを重と曰ひ、位を離れざるを静と曰ふ。重なれば則ち能く軽を使ひ、静なれば則ち能く躁を使ふ。故に曰く、「重は軽の根為り、静は躁の君為り」と。故に曰く、「君子は終日行きて、輜重を離れず」と。邦は人君の輜重なり。主父、生きながら其の邦を伝ふ、此れ其の輜重を離るる者なり。故に代・雲中の楽有りと雖も、超然として已に趙無し。主父は万乗の主にして、身を以て天下に軽んぜらる。
-
『韓非子』難勢第四十且つ御は、王良をしてせしむるに非ざれば、則ち必ず臧獲をして之を敗らしむ。治は、堯・舜をしてせしむるに非ざれば、則ち必ず桀・紂をして之を乱さしむ。此れ味は飴蜜に非ざれば、必ず苦萊・亭歴なりとするなり。此れ則ち辯を積み辞を累ね、理を離れ術を失ふ、両末の議なり、奚ぞ以て夫の道理の言を難ずべけんや。客の議は未だ此の論に及ばざるなり。