呻吟語 / 内篇・應務・橫逆能く幾何ぞ
橫逆能幾何哉?
新字:横逆能幾何哉?
書き下し
橫逆能く幾何ぞや。
現代語訳
理不尽など、どれほどのものでしょうか。
解説
十の方法を並べた後に置かれた、一行の締めです。ここまで手立てを揃えれば、理不尽など大したものではないという結論になります。並べた数の多さがそのまま自信の根拠になっており、感情を精神論で抑えるのではなく、技法の在庫で対処するという構えが示されています。短いぶん、備えの効き目が際立つ形です。感情を精神論で抑えず、技法の在庫で対処する構えです。
この章句が説くこと
理不尽在庫技法自信締め
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『呻吟語』内篇・應務・這裡還た須らく理會すべし這裡還た須らく理會すべし。無限の妙處有り。
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『呻吟語』内篇・應務・妙は不言に在り難きかな能く忍ぶこと、妙は不言に在り。
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『呻吟語』内篇・應務・兩個氣を動かす凡そ橫逆の來たり侵す有らば、先づ之を取る所以の故を思ひ、即ち之に處する所以の法を思へ。便ち氣を動かす可からず。兩個氣を動かせば、一對の小人と一般に禍を受く。
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『呻吟語』内篇・應務・要は機に相ふに在り天下の事は、速やかにして之に迫る者有り、遲くして之に耐ふる者有り、勇にして之を劫かす者有り、柔にして之を折る者有り、憤にして之を激する者有り、喻して之を悟らしむる者有り、獎めて之を歆ましむる者有り、甚だしくして之を談ずる者有り、順にして之を緩くする者有り、誠を積みて之を感ぜしむる者有り。要は機に相ふに在り。時に因りて舛り施せば、未だ敗れざる者有らざるなり。
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『呻吟語』内篇・應務・橫逆を排遣するの法禽獸と奚ぞ擇ばんや、禽獸に於て又た何ぞ難からんや。此れは是れ孟子の大排遣なり。初め人を愛敬する時、就ち這の念頭を安排すれば、再び氣を生ぜず。余因りて橫逆を排遣するの法を擴充す。此の外に十有り。一に曰く、小人と處するは、德に進むの資なり。彼の侮ること愈いよ甚だしければ、我の忍ぶこと愈いよ堅し。我に於て奚ぞ損せんや。二に曰く、小人に遇はずんば、以て我が量を驗するに足らず。三に曰く、彼の橫逆なる者自反に至るも、忠猶ほ免るるを得ず。其の人の頑悖甚だし、一たび之と校せば必ず禍端を起こす。
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『呻吟語』内篇・應務・淡然として之に安んず或るひと問ふ、「怨尤の念、底だ克ち難し。奈何」と。曰く、「君自來怨尤す。怨尤して甚をか出だす。天の水旱虐を為すは人の怨むを怕れず、死は自ら死するのみ、水旱は自若たり。人の貪殘厭く無きは你の尤むるを怕れず、恨は自ら恨むのみ、貪殘は自若たり。此れ皆な無可奈何なる者なり。今且く君の自ら修め自ら責むるを望まず、只だ這の無可奈何の事を將て心腸を惱亂し、又た許多の痛苦を添ふ。淡然として之に安んじ、些かの便宜を討むるに若かず」と。其の人大笑して去る。