呻吟語 / 内篇・應務・要は機に相ふに在り
天下之事,有速而迫之者,有遲而耐之者,有勇而劫之者,有柔而折之者,有憤而激之者,有喻而悟之者,有獎而歆之者,有甚而談之者,有順而緩之者,有積誠而感之者,要在相機。 因時舛施,未有不敗者也。
新字:天下之事,有速而迫之者,有遅而耐之者,有勇而劫之者,有柔而折之者,有憤而激之者,有喩而悟之者,有獎而歆之者,有甚而談之者,有順而緩之者,有積誠而感之者,要在相機。 因時舛施,未有不敗者也。
書き下し
天下の事は、速やかにして之に迫る者有り、遲くして之に耐ふる者有り、勇にして之を劫かす者有り、柔にして之を折る者有り、憤にして之を激する者有り、喻して之を悟らしむる者有り、獎めて之を歆ましむる者有り、甚だしくして之を談ずる者有り、順にして之を緩くする者有り、誠を積みて之を感ぜしむる者有り。要は機に相ふに在り。時に因りて舛り施せば、未だ敗れざる者有らざるなり。
現代語訳
天下の事には、速やかに迫るもの、遅くして耐えるもの、勇ましく脅かすもの、柔らかく折るもの、憤らせて激するもの、諭して悟らせるもの、褒めて動かすもの、大げさに語るもの、順に従って緩めるもの、誠を積んで感じさせるものがあります。要は機を捉えることです。時を取り違えて施せば、失敗しないものはありません。
解説
事に応ずる手を十通り並べます。速い遅い、強い柔らかい、諭す褒める、大げさに言う、緩める、誠を積む。どれも正しい手ですが、時を間違えれば必ず失敗すると言います。手の多さではなく、選ぶ機が問題だという結論です。應務篇の中心にあたる一段で、方法論の一覧と、その使い分けの原則が同時に示されています。方法の一覧と、使い分けの原則が同時に示されています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
応対十法機使い分け失敗
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