呻吟語 / 内篇・應務・身愈いよ詘まれば道愈いよ尊し
兵志曰:「不應不動,敵將自靜。」七曰可避則避之,如太王之去邠;可下則下之,如韓信之跨下。古人云:「身愈詘,道愈尊。」
新字:兵志曰:「不応不動,敵将自静。」七曰可避則避之,如太王之去邠;可下則下之,如韓信之跨下。古人云:「身愈詘,道愈尊。」
書き下し
兵志に曰く、「應ぜず動ぜざれば、敵將に自ら靜まらんとす」と。七に曰く、避く可くんば則ち之を避く、太王の邠を去るが如し。下る可くんば則ち之に下る、韓信の跨下の如し。古人云ふ、「身愈いよ詘まれば、道愈いよ尊し」と。
現代語訳
兵法の書に、応じず動かなければ、敵はおのずと静まると言います。七に、避けられるなら避ける。太王が邠を去ったようにです。下れるなら下る。韓信が股をくぐったようにです。昔の人は、身が屈むほど道は尊くなる、と言いました。
解説
理不尽への対処の続きで、六から七にあたる部分です。応じないこと、避けること、下ること。いずれも動かないか退くかで、反撃は一つもありません。そして太王と韓信という、屈辱を受け入れた二人の例が挙げられます。屈むほど道が尊くなるという一句が、退くことを敗北から切り離す働きをしています。屈むほど道が尊くなるという一句が、退くことを敗北から切り離しています。
この章句が説くこと
回避屈する韓信退く不応
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