呻吟語 / 内篇・存心・可欲の上に工夫を做す
不見可欲時,人人都是君子;一見可欲,不是滑了腳跟,便是擺動念頭。老子曰:「不見可欲,使心不亂。」此是閉目塞耳之學。一入耳目來,便了不得。今欲與諸君在可欲上做工夫,淫聲美色滿前,但如鑒照物,見在妍媸,不侵鏡光;過去妍媸,不留鏡裡,何嫌於坐懷?何事於閉門?推之可怖可驚、可怒可惑、可憂可恨之事,無不皆然。到此才是工夫,才見手段。把持則為賢者,兩忘則為聖人。予嘗有詩云:「百尺竿頭著腳,千層浪裡翻身。個中如履平地,此是誰何道人。」
新字:不見可欲時,人人都是君子;一見可欲,不是滑了腳跟,便是擺動念頭。老子曰:「不見可欲,使心不乱。」此是閉目塞耳之学。一入耳目来,便了不得。今欲与諸君在可欲上做工夫,淫声美色満前,但如鑒照物,見在妍媸,不侵鏡光;過去妍媸,不留鏡裡,何嫌於坐懐?何事於閉門?推之可怖可驚、可怒可惑、可憂可恨之事,無不皆然。到此才是工夫,才見手段。把持則為賢者,両忘則為聖人。予嘗有詩云:「百尺竿頭著腳,千層浪裡翻身。個中如履平地,此是誰何道人。」
書き下し
可欲を見ざる時、人人都て是れ君子なり。一たび可欲を見れば、是れ腳跟を滑らすに非ずんば、便ち是れ念頭を擺動す。老子曰く、「可欲を見ずして、心をして亂れざらしむ」と。此れは是れ目を閉ぢ耳を塞ぐの學なり。一たび耳目に入り來たらば、便ち了り得ず。今諸君と可欲の上に於いて工夫を做さんと欲す。淫聲美色前に滿つるも、但だ鑒の物を照らすがごとく、現在の妍媸は鏡光を侵さず、過去の妍媸は鏡裡に留まらず。何ぞ懷に坐するを嫌はんや。何ぞ門を閉づるを事とせんや。之を推せば可怖可驚・可怒可惑・可憂可恨の事も、皆然らざる無し。此に到りて才めて是れ工夫、才めて手段を見る。把持すれば則ち賢者と為り、兩ながら忘るれば則ち聖人と為る。予嘗て詩有りて云ふ、「百尺竿頭に腳を著け、千層浪裡に身を翻す。個中は平地を履むがごとし、此れは是れ誰何の道人ぞ」と。
現代語訳
欲しくなるものを見ないときは、誰もが君子です。ひとたび欲しくなるものを見れば、足もとを滑らせるか、思いを揺り動かされるかです。老子は、欲しくなるものを見せず、心を乱れさせない、と言いました。これは目を閉じ耳をふさぐ学問です。ひとたび耳目に入ってくれば、どうにもなりません。今、諸君とともに、欲しくなるものの上で工夫をしたいと思います。みだらな音や美しい姿が目の前に満ちていても、ただ鏡が物を照らすように、今ある美醜は鏡の光を侵さず、過ぎた美醜は鏡の中に留まらない。それなら膝に座らせることを嫌う必要がありましょうか。門を閉ざすことに努める必要がありましょうか。押し広げれば、恐ろしいこと、驚くこと、怒ること、惑うこと、憂えること、恨むことも、みな同じです。ここに至ってはじめて工夫であり、はじめて手腕が見えます。握って保てば賢者となり、両方とも忘れれば聖人となります。私はかつて詩に詠みました。百尺の竿の先に足をつけ、千重の波の中で身をひるがえす。その中はまるで平らな地を踏むようだ。これはいったい何者の道人だろうか、と。
解説
この章句が説くこと
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