呻吟語 / 内篇・應務・我は天下の我なり
泰然處之而不嫌於尊己事,當逸我利我。公然行之而不嫌於厲民,非富貴我,逸利我也。我者,天下之我也。天下名分紀綱於我乎寄,則我者,名分紀綱之具也。何嫌之有?此之謂公己於人,雖然,猶未能忘其道,未化也。聖人處富貴逸利之地,而忘其身;為天下勞苦卑因,而亦忘其身。非曰我分當然也,非曰我志欲然也。譬痛者之必呻吟,樂者之必談笑,癢者之必爬搔,自然而已。譬蟬之鳴秋,雞之啼曉,草木之榮枯,自然而已。夫如是,雖負之使灰其心,怒之使薄其意,不能也;況此分不盡,而此心少怠乎?況人情未孚,而惟人是責乎?夫是之謂忘人己之界,而不知我之為誰。不知我之為誰,則亦不知人之為誰矣。不知人我之為誰,則六合混一,而太和元氣塞於天地之間矣。必如是而後謂之仁。
新字:泰然処之而不嫌於尊己事,当逸我利我。公然行之而不嫌於厲民,非富貴我,逸利我也。我者,天下之我也。天下名分紀綱於我乎寄,則我者,名分紀綱之具也。何嫌之有?此之謂公己於人,雖然,猶未能忘其道,未化也。聖人処富貴逸利之地,而忘其身;為天下労苦卑因,而亦忘其身。非曰我分当然也,非曰我志欲然也。譬痛者之必呻吟,楽者之必談笑,癢者之必爬搔,自然而已。譬蝉之鳴秋,鶏之啼暁,草木之栄枯,自然而已。夫如是,雖負之使灰其心,怒之使薄其意,不能也;況此分不尽,而此心少怠乎?況人情未孚,而惟人是責乎?夫是之謂忘人己之界,而不知我之為誰。不知我之為誰,則亦不知人之為誰矣。不知人我之為誰,則六合混一,而太和元気塞於天地之間矣。必如是而後謂之仁。
書き下し
泰然として之に處して己を尊ぶに嫌はず。事當に我を逸にし我を利すべし。公然として之を行ひて民を厲ますに嫌はず。我を富貴にし我を逸利にするに非ざるなり。我なる者は、天下の我なり。天下の名分紀綱我に寄る。則ち我なる者は、名分紀綱の具なり。何の嫌か之れ有らん。聖人は富貴逸利の地に處して、其の身を忘る。天下の為に勞苦卑困して、亦た其の身を忘る。我が分當に然るべしと曰ふに非ず、我が志然らんと欲すと曰ふに非ず。譬へば痛む者の必ず呻吟し、樂しむ者の必ず談笑するがごとし。自然のみ。
現代語訳
泰然としてそこに身を置き、自分を尊ぶことを嫌がりません。事によっては自分を楽にし利してよいのです。公然とそれを行い、民に負担をかけることも憚りません。自分を富ませ楽をさせるためではないからです。この我とは、天下の我です。天下の名分と紀綱がこの身に寄せられている。ならばこの我は、名分と紀綱の道具です。どこに憚る余地があるでしょうか。聖人は富貴と安楽の地にいても自分の身を忘れ、天下のために苦労し卑しめられても自分の身を忘れます。自分の分がそうだからでも、自分の志がそう望むからでもありません。たとえれば痛む者が必ず呻き、楽しむ者が必ず談笑するようなものです。自然にそうなるだけです。
解説

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