呻吟語 / 内篇・應務・真の是非を得て、才かに公の是非を論ず
得了真是非,才論公是非。而今是非不但捉風捕影,且無風無影,不知何處生來,妄聽者遽信是實以定是非。曰:我無私也。噫!固無私矣,《采苓》止棘,暴公《巷伯》,孰為辯之?
新字:得了真是非,才論公是非。而今是非不但捉風捕影,且無風無影,不知何処生来,妄聴者遽信是実以定是非。曰:我無私也。噫!固無私矣,《采苓》止棘,暴公《巷伯》,孰為弁之?
書き下し
真の是非を得て、才かに公の是非を論ず。而今の是非は但だ風を捉へ影を捕らふるのみならず、且つ風無く影無し。知らず何處より生まれ來たる。妄りに聽く者遽かに實と信じて以て是非を定む。曰く、我に私無しと。噫、固より私無し。《采苓》の棘に止まる、暴公の《巷伯》、孰か為に之を辯ぜん。
現代語訳
本当の是非を掴んで、初めて公けの是非を論じられます。今の是非は、風を捕らえ影を掴むどころか、風も影もありません。どこから生まれてきたかも分かりません。軽々しく聞いた者がすぐ事実と信じて是非を決めます。そして言うのです、私には私心が無い、と。ああ、確かに私心は無いでしょう。しかし采苓の詩の棘のもとの噂も、暴公を誹った巷伯の詩も、誰が弁じてくれたでしょうか。
解説
事実確認と公平さを、順序として分けます。まず本当の是非を掴み、それから公けに論ずる。ところが今は根拠すら無い話に基づいて判断し、私心が無いと胸を張る。私心の無さは事実の正しさを保証しないという指摘が鋭い。詩経から二つの讒言の例を引いて、誰も弁じてくれなかったと結ぶのも重い一段です。私心の無さは、事実の正しさを保証しないのです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
事実公平噂私心順序
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