呻吟語 / 内篇・應務・意愛に主とすれば詬罵も親しむ所以
意主於愛,則詬罵撲擊皆所以親之也;意主於惡,則獎譽綢繆皆所以仇之也。
新字:意主於愛,則詬罵撲擊皆所以親之也;意主於悪,則獎誉綢繆皆所以仇之也。
書き下し
意愛に主とすれば、則ち詬罵撲擊も皆な之に親しむ所以なり。意惡に主とすれば、則ち獎譽綢繆も皆な之を仇とする所以なり。
現代語訳
心が愛に立っていれば、罵ることも打つことも、みな相手に親しむための手立てです。心が憎しみに立っていれば、褒めることも手厚く接することも、みな相手を仇とする手立てです。
解説
同じ行いが、根にある心で正反対の意味になると言います。罵倒も愛から出れば親しみになり、称賛も憎しみから出れば敵意になる。表に出た行為だけでは判定できないということです。前に出てきた、殺すが仁になる場合があるという段と同じ構図で、こちらは日常の言葉遣いに引き寄せられています。表に出た行為だけでは、判定できないということです。
この章句が説くこと
動機罵倒称賛逆転判定
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