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学問のすゝめ / 八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・なんの鉄面皮あればこの破廉恥に至るや

しかるに世間の父母たる者、よく子を生めども子を教うるの道を知らず、身は放蕩無頼を事として子弟に悪例を示し、家を汚し産を破りて貧困に陥り、気力ようやく衰えて家産すでに尽くるに至れば放蕩変じて頑愚となり、すなわちその子に向かいて孝行を責むるとは、はたしてなんの心ぞや。なんの鉄面皮あればこの破廉恥のはなはだしきに至るや。父は子の財を貪らんとし、姑は嫁の心を悩ましめ、父母の心をもって子供夫婦の身を制し、父母の不理屈は尤もにして子供の申し分は少しも立たず、嫁はあたかも餓鬼の地獄に落ちたるがごとく、起居眠食、自由なるものなし。一も舅姑の意に戻ればすなわちこれを不孝者と称し、世間の人もこれを見て心に無理とは思いながら、己が身に引き受けざることなればまず親の不理屈に左袒して理不尽にその子を咎むるか、あるいは通人の説に従えば、理非を分かたず親を欺けとて偽計を授くる者あり。

書き下し

しかるに世間の父母たる者、よく子を生めども子を教うるの道を知らず、身は放蕩無頼を事として子弟に悪例を示し、家を汚し産を破りて貧困に陥り、気力ようやく衰えて家産すでに尽くるに至れば放蕩変じて頑愚となり、すなわちその子に向かいて孝行を責むるとは、はたしてなんの心ぞや。なんの鉄面皮あればこの破廉恥のはなはだしきに至るや。父は子の財を貪らんとし、姑は嫁の心を悩ましめ、父母の心をもって子供夫婦の身を制し、父母の不理屈は尤もにして子供の申し分は少しも立たず、嫁はあたかも餓鬼の地獄に落ちたるがごとく、起居眠食、自由なるものなし。一も舅姑の意に戻ればすなわちこれを不孝者と称し、世間の人もこれを見て心に無理とは思いながら、己が身に引き受けざることなればまず親の不理屈に左袒して理不尽にその子を咎むるか、あるいは通人の説に従えば、理非を分かたず親を欺けとて偽計を授くる者あり。

現代語訳

ところが世間の父母たる者は、よく子を生んでも子を教える道を知らず、自分は放蕩無頼を事として子や弟に悪い例を示し、家を汚し財産を潰して貧困に陥り、気力が次第に衰えて家の産がすでに尽きるに至れば、放蕩は変じて頑固と愚かさになり、そしてその子に向かって孝行を求めるとは、いったいどういう心でしょうか。どんな厚かましさがあればこれほどの破廉恥に至るのでしょうか。父は子の財を貪ろうとし、姑は嫁の心を悩ませ、父母の心で子供夫婦の身を支配し、父母の不条理はもっともとされて子供の言い分は少しも通らず、嫁はまるで餓鬼の地獄に落ちたようで、起居も眠りも食事も自由なものがありません。一つでも舅姑の意に背けばこれを不孝者と称し、世間の人もこれを見て内心では無理だと思いながら、自分の身に引き受けることではないので、まず親の不条理に味方して理不尽にその子を咎めるか、あるいは通人の説に従えば、理非を分けずに親を欺けと偽りの計略を授ける者があります。

解説

批判が抽象から現実の家に降りてきます。教えることをせず悪い例だけ示して財産を潰した親が、老いてから孝行を求める。その厚かましさが強い言葉で咎められます。嫁の境遇が餓鬼の地獄と表現され、起居も眠りも食事も自由がないと具体的です。そして世間の態度が指摘されるのが鋭い。内心では無理だと思いながら、自分に関係がないので親の側に味方する、と。傍観者の加担が見抜かれています。

この章句が説くこと

親子嫁姑傍観加担支配

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