呻吟語 / 内篇・應務・徐審に如くは莫し
惟聖人能先覺,其次莫如徐審。
新字:惟聖人能先覚,其次莫如徐審。
書き下し
惟だ聖人のみ能く先覺す。其の次は徐審に如くは莫し。
現代語訳
ただ聖人だけが先に気づけます。その次は、ゆっくり審らかにするのに及ぶものはありません。
解説
前の段を受けた、短い締めです。最上は先に気づくことですが、それは聖人の域。凡人にできる次善が徐審だとされます。つまり才が無い者に残された道は、時間をかけることだけということになります。前に出てきた、中位以下の者でも焦らず続ければ得られるという段と同じ立場で、才の差を時間で埋める構えです。才の差を、時間で埋めるという構えになっています。
この章句が説くこと
先覚徐審次善時間才
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