呻吟語 / 内篇・應務・惟だ聖人のみ當可の宜しきを得
君子所得不問,故其所行亦異。有小人於此,仁者憐之,義者惡之,禮者處之不失禮,智者處之不取禍,信者推誠以御之而不計利害,惟聖人處小人得當可之宜。
新字:君子所得不問,故其所行亦異。有小人於此,仁者憐之,義者悪之,礼者処之不失礼,智者処之不取禍,信者推誠以御之而不計利害,惟聖人処小人得当可之宜。
書き下し
君子の得る所同じからず、故に其の行ふ所も亦た異なる。小人此に有らば、仁者は之を憐れみ、義者は之を惡み、禮者は之に處して禮を失はず、智者は之に處して禍を取らず、信者は誠を推して以て之を御し利害を計らず。惟だ聖人のみ小人に處して當可の宜しきを得。
現代語訳
君子が得たものが違えば、行うところも違います。ここに小人がいれば、仁者はこれを憐れみ、義者はこれを憎み、礼者はこれに接して礼を失わず、智者はこれに接して禍を招かず、信者は誠を推してこれを御し損得を数えません。ただ聖人だけが、小人に接してふさわしいところを得ます。
解説
同じ小人を前にして、五つの徳がそれぞれ違う反応を示します。憐れむ、憎む、礼を保つ、禍を避ける、誠で当たる。どれも正しいのに、行動はばらばらです。前に出てきた、五者が主になれば事が敗れるという段と同じ構図で、ここでは対人の場面に絞られています。そして聖人だけがふさわしさを得るとされます。正しい反応が五通りに割れるという、難しい場面です。
この章句が説くこと
小人五徳反応ばらつき適切
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