呻吟語 / 内篇・問學・己に欲する所を專らにす
聖賢只在與人同欲惡,「己欲立而立人,己欲達而達人。」,「我不欲人之加諸我也,吾亦欲無加諸人」,便是聖人。能近取譬,施諸己而不願,亦勿施於人,便是賢者。專所欲於己,施所惡於人,便是小人。學者用情,只在此二字上體認,最為吃緊,充得盡時,六合都是個,有甚一己。
新字:聖賢只在与人同欲悪,「己欲立而立人,己欲達而達人。」,「我不欲人之加諸我也,吾亦欲無加諸人」,便是聖人。能近取譬,施諸己而不願,亦勿施於人,便是賢者。専所欲於己,施所悪於人,便是小人。学者用情,只在此二字上体認,最為吃緊,充得尽時,六合都是個,有甚一己。
書き下し
聖賢は只だ人と欲惡を同じくするに在り。「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す」、「我人の諸を我に加ふるを欲せざるや、吾も亦た諸を人に加ふる無からんと欲す」、便ち是れ聖人なり。能く近く譬を取り、諸を己に施して願はざれば、亦た人に施す勿かれ、便ち是れ賢者なり。欲する所を己に專らにし、惡む所を人に施すは、便ち是れ小人なり。學者の情を用ふるは、只だ此の二字の上に在りて體認するのみ。最も吃緊たり。充たし得て盡くる時、六合都て是れ個なり、甚の一己か有らん。
現代語訳
聖賢はただ、人と欲するところ憎むところを同じくする点にあります。自分が立ちたいと思えば人を立て、自分が達したいと思えば人を達する。人が自分にされたくないことは、自分も人にすまいと思う。これが聖人です。身近に例えを取り、自分に施して望まないことは人にも施さない。これが賢者です。欲するものを自分だけのものにし、憎むものを人に施す。これが小人です。学ぶ者が情を用いるのは、ただこの好悪の二字の上で体認するだけです。最も切実なところです。満たし尽くした時には、天地四方がみな一つになり、どこに自分一人がいるでしょうか。
解説
好悪の扱い方で、聖人と賢者と小人を分けます。聖人は人と同じくし、賢者は自分を基準に推し量り、小人は良いものを独占し嫌なものを押しつける。三段の違いが同じ軸の上に並ぶので、自分の位置が測れます。そして満たし尽くせば自分という区切りが消えるとされ、修養の到達点が示されて終わります。三段の違いが同じ軸に並ぶので、自分の位置が測れます。
この章句が説くこと
好悪聖賢小人推恕一体
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