呻吟語 / 内篇・應務・分外に分毫を剩さず
聖賢用剛,只夠濟那一件事便了;用明,只夠得那件情便了;分外不剩分毫。所以作事無痕跡,甚渾厚,事既有成,而亦無議。
新字:聖賢用剛,只夠済那一件事便了;用明,只夠得那件情便了;分外不剰分毫。所以作事無痕跡,甚渾厚,事既有成,而亦無議。
書き下し
聖賢の剛を用ふるは、只だ那の一件の事を濟すに夠りて便ち了はる。明を用ふるは、只だ那の件の情を得るに夠りて便ち了はる。分外に分毫を剩さず。所以に事を作すに痕跡無く、甚だ渾厚にして、事既に成る有りて、亦た議無し。
現代語訳
聖賢が剛さを用いるのは、その一件の事を済ませるのに足りるだけで終わります。明るさを用いるのは、その件の事情を掴むのに足りるだけで終わります。必要を越えて毛ほども余らせません。だから事をなしても痕跡が無く、実に厚みがあり、事は成ったのに議論も起きません。
解説
力と明察を、必要な分だけ使って止めると言います。余らせないから痕跡も残らず、議論も起きない。過剰な追及が反発を生むという、応対の現実を踏まえた処方です。前に出てきた、人を論ずるには厚みを帯びよという段と同じ方向で、こちらは使う量の話として示されています。加減の問題として具体的です。過剰な追及が反発を生むという、応対の現実を踏まえています。
この章句が説くこと
加減過剰痕跡明察剛
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