呻吟語 / 内篇・應務・語らず爭はず
語之不從,爭之愈勍,名之乃驚。不語不爭,無所事名,忽忽冥冥,吾事已成,彼亦懵懵。昔人謂不動聲色而措天下於泰山,予以為動聲色則不能措天下於泰山矣。故曰默而成之,不言而信,存乎德行。
新字:語之不従,争之愈勍,名之乃驚。不語不争,無所事名,忽忽冥冥,吾事已成,彼亦懵懵。昔人謂不動声色而措天下於泰山,予以為動声色則不能措天下於泰山矣。故曰黙而成之,不言而信,存乎徳行。
書き下し
之を語れども從はず、之を爭へば愈いよ勍く、之を名づくれば乃ち驚く。語らず爭はず、名を事とする所無くんば、忽忽冥冥として、吾が事已に成り、彼も亦た懵懵たり。昔人は聲色を動かさずして天下を泰山に措くと謂ふ。予以為へらく、聲色を動かさば則ち天下を泰山に措く能はず。故に曰く、默して之を成し、言はずして信なるは、德行に存すと。
現代語訳
語っても従わず、争えばいよいよ強くなり、名づければ驚きます。語らず争わず、名を立てようとしなければ、いつの間にかぼんやりしたまま、こちらの事はすでに成り、相手もぼんやりしています。昔の人は、声色を動かさずに天下を泰山に据えると言いました。私が思うに、声色を動かせば天下を泰山に据えることはできません。だから、黙って成し遂げ、言わずに信じられるのは徳行にあると言うのです。
解説
改革を通す方法として、語らず争わず名づけないことを挙げます。語れば反発し、争えば固くなり、名づければ警戒される。だから何も掲げずに進めれば、いつの間にか成っているというのです。昔の言葉に一言修正を加えるのも鋭く、声色を動かした時点でもう無理だと言い切ります。静かな実行論の極みです。静かな実行論の極みと言える一段になっています。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
静か改革無名反発実行
関連する章句
-
『政談』制度の事右の如く衣服等の制度を定めんにはかはり目のきわ境なくては叶はさること也、先つ東照宮へ御告あるへきことなり、日光御社参を仰せ出され、二年三年も前より御供廻の装束、諸大名の参詣の装束此度は斯の如くあるへしと号令ありて篤と支度させ、夫より直に平日に用ゆるやうに有りたきことなり、右一同上下仕換ゆることなれは、我人悪しきと、又例の手くせを出し利をまうけんとたくむへけれは、其の手当あるへきこと也、右の如く武家の制度を委細に立つること倹約の至極なれとも、諸事を新たに仕換ゆることなれは、当時困窮したる世界にては次第なく急にはなりかたかるへし、只先つ道中幷に御城下は幾何の供廻りを減少し、諸大名は江戸詰の家来を少くし、銭を鋳、貸借の道を開き、御旗本の諸士家中の武士のことは先つ其の儘にし置き、諸事の簡易に取捌くはかりにして最初に町人百姓と武家との差別を急度立つへきことなり、一切の事大そうなる事は先つ粗を立てゝ後に細にするときは仕よきものあり、前後緩急のついでとはこれを云ふなり、
-
『講孟余話』滕文公上 第三章余をして横渠の時に生れしめば、必ず此の事を成さん者をと思へども、幽明道遥かにして詮方なし。況や今囹圄の囚となり、志ありと云へども遂ぐべき様なし。徒に横渠の説を読みて感涙胸を沽すのみ。但し横渠の説は田を画し井となすか最も用意の所と見えたり。仁政は経界より始まるとあれば、此の事固より要務にはあるべけれど、是れは法制に係りたることにて、万一人情に合し土俗に宜からぬことあれば、大いに民間を擾乱するに至る。故に夫れよりは此の一節に云ふ所の実を主として行ひ度きことなり。
-
史記 袁盎鼂錯列伝其の弁を以て太子に幸を得、太子の家号して「智嚢」と曰ふ。数(しばしば)孝文の時に上書し、諸侯を削る事、及び法令の更定すべき者を言ふ。書数十たび上るも、孝文聴かず、然れども其の材を奇とし、遷して中大夫と為す。是の時に当たり、太子錯の計策を善しとし、袁盎・諸大功臣多く錯を好まず。景帝即位し、錯を以て内史と為す。錯常に数(しばしば)閒を請ひて事を言ひ、輒ち聴かれ、寵幸九卿を傾け、法令多く更定する所あり。丞相申屠嘉心に便とせず、力未だ以て傷つくる有らず。内史の府は太上廟の壖(ぜん)中に居り、門東に出で、便ならず。錯乃ち両門を穿ちて南に出だし、廟の壖垣を鑿つ。丞相嘉聞き、大いに怒り、此の過ちに因りて奏請して錯を誅せんと欲す。錯之を聞き、即ち夜閒を請ひ、具さに上の為に之を言ふ。丞相事を奏し、因りて錯擅に廟垣を鑿ちて門と為す、廷尉に下して誅せんことを請ふと言ふ。上曰く、「此れ廟垣に非ず、乃ち壖中の垣なり、法に致さず」と。丞相謝す。朝を罷め、怒りて長史に謂ひて曰く、「吾当に先づ斬りて以て聞すべきに、乃ち先づ請ひ、児の売る所と為る、固より誤れり」と。丞相遂に病を発して死す。錯此を以て愈(いよい)よ貴し。遷りて御史大夫と為り、諸侯の罪過を請ひ、其の地を削り、其の枝郡を収めんとす。奏上し、上公卿列侯宗室をして集議せしむ。敢へて難ずる莫く、独り竇嬰之を争ふ。此に由りて錯と卻(げき)有り。錯の更むる所の令三十章、諸侯皆諠譁して鼂錯を疾む。錯の父之を聞き、潁川より来たり、錯に謂ひて曰く、「上初めて即位し、公政を為して事を用ひ、諸侯を侵削し、人の骨肉を別疏す。人口議して多く公を怨む者は、何ぞや」と。鼂錯曰く、「固よりなり。此の如くならずんば、天子尊からず、宗廟安からず」と。錯の父曰く、「劉氏は安けれども、鼂氏は危ふし。吾公を去りて帰らん」と。遂に薬を飲みて死し、曰く、「吾禍の吾が身に及ぶを見るに忍びず」と。
-
『春秋左氏伝』昭公四年 苟も社稷を利せば九月、鄫を取る。易きを言ふなり。莒亂る。著丘公立ちて鄫を撫せず。鄫叛きて來る。故に取ると曰ふ。凡そ邑に克ちて、師徒を用ゐざるを取ると曰ふ。鄭の子產丘賦を作る。國人之を謗りて曰く、「其の父は路に死し、己は蠆尾(たいび)と為りて、以て國に令す。國將に之を若何せん」と。子寬以て告ぐ。子產曰く、「何ぞ害あらん。苟も社稷を利せば、死生之を以てせん。且つ吾聞く、善を為す者は其の度を改めず、故に能く濟すこと有りと。民は逞(ほしいまま)にすべからず、度は改むべからず。詩に曰く、『禮義愆(あやま)たずんば、何ぞ人の言を恤へん』と。吾遷らず」と。渾罕曰く、「國氏其れ先づ亡びんか。君子法を涼(うす)きに作るも、其の敝は猶ほ貪なり。法を貪に作らば、敝將に之を若何せん。姬の列に在る者、蔡及び曹・滕、其れ先づ亡びんか。偪(せま)りて禮無し。鄭は衛に先だちて亡びん。偪りて法無し。政法に率(したが)はずして、心に制す。民各心有り、何の上か之れ有らん」と。冬、吳楚を伐ちて、棘・櫟・麻に入る。以て朱方の役に報ゆるなり。楚の沈尹射夏汭に奔命す。咸尹宜咎鍾離に城き、薳啟疆巢に城き、然丹州來に城く。東國水あり、以て城くべからず。彭生賴の師を罷む。
-
『新論』守禦夫れ内政修まり、軍令飭ひ、邦国富み、守備班たば、則ち天下の宜しく釐革すべき所の者、大綱挙がる。大綱挙がれば、則ち其の瑣瑣たる者も亦た将に随ひて振起せんとす。夫れ英雄は時を相て変に処す。昔時未だ設けざる所にして、今日宜しく創立すべき所の者、亦た安んぞ熟思して之を講明せざるを得んや。臣を以て之を策すれば曰く、屯兵を設く、曰く、斥候を明らかにす、曰く、水兵を繕ふ、曰く、火器を練る、曰く、資糧を峙ふ。是の五者は、以て創立せざるべからざるなり。
-
『春秋左氏伝』定公十二年 三都を墮つ十二年夏、衛の公孟彄、曹を伐ち、郊に克ちて還る。滑羅、殿す。未だ出でざるに、列より退かず。其の御曰く、「殿にして列に在り、其れ無勇と為さんか」と。羅曰く、「其の素厲ならんよりは、寧ろ無勇と為らん」と。仲由、季氏の宰と為り、將に三都を墮たんとす。是に於いて叔孫氏、郈を墮つ。季氏、將に費を墮たんとす。公山不狃・叔孫輒、費人を帥ゐて以て魯を襲ふ。公と三子と、季氏の宮に入り、武子の臺に登る。費人、之を攻むれども克たず。入りて公の側に及ぶ。仲尼、申句須・樂頎に命じて、下りて之を伐たしむ。費人北ぐ。國人、之を追ひ、諸を姑蔑に敗る。二子、齊に奔る。遂に費を墮つ。將に成を墮たんとす。公斂處父、孟孫に謂ふ、「成を墮たば、齊人必ず北門に至らん。且つ成は孟氏の保障なり。成無きは是れ孟氏無きなり。子、偽りて知らざれ。我、將に墮たざらんとす」と。冬十二月、公、成を圍むも克たず。