呻吟語 / 内篇・應務・其の具を用ふる者の難し
者,成事之藉也。登高而招,順風而呼,不勞不費,而其易就。不審於勢,譬行舟於平陸之地也。是故貴慎發。左盼望,長慮卻顧,實見得利矣,又思其害,實見得成矣,又慮其敗,萬無可虞則執極而不變。不慎所發,譬夜射儀的也。是故貴宜物。夫事有當蹈常襲故者,有當改弦易轍者,有當興廢舉墜者,有當救偏補救者,有以小棄大而卒以成其大者,有理屈於勢而不害其為理者,有當三令五申者,有當不動聲色者。不宜於物,譬苗莠兼存,而玉石俱焚也。溠夫!非有其具之難,而用其具者之難也。
新字:者,成事之藉也。登高而招,順風而呼,不労不費,而其易就。不審於勢,譬行舟於平陸之地也。是故貴慎発。左盼望,長慮却顧,実見得利矣,又思其害,実見得成矣,又慮其敗,万無可虞則執極而不変。不慎所発,譬夜射儀的也。是故貴宜物。夫事有当蹈常襲故者,有当改弦易轍者,有当興廃舉墜者,有当救偏補救者,有以小棄大而卒以成其大者,有理屈於勢而不害其為理者,有当三令五申者,有当不動声色者。不宜於物,譬苗莠兼存,而玉石倶焚也。溠夫!非有其具之難,而用其具者之難也。
書き下し
勢なる者は、事を成すの藉なり。高きに登りて招き、風に順ひて呼べば、勞せず費やさずして其れ就り易し。勢に審らかならざるは、譬へば舟を平陸の地に行るがごとし。是の故に發を慎むを貴ぶ。左に盼み望み、長く慮り卻りて顧み、實に利を得たるを見るも、又た其の害を思ひ、實に成るを得たるを見るも、又た其の敗を慮る。萬に虞る可き無くんば則ち極を執りて變ぜず。發する所を慎まざるは、譬へば夜に的に射儀するがごとし。是の故に物に宜しきを貴ぶ。嗟夫、其の具有るの難きに非ずして、其の具を用ふる者の難きなり。
現代語訳
勢いとは事を成すための足場です。高い所に登って招き、風に順って呼べば、労せず費やさずに成りやすい。勢いに通じないのは、たとえれば平らな陸地で舟を進めるようなものです。だから発することを慎むのを貴びます。左右を見渡し、長く思案して振り返り、確かに利があると見えても、なおその害を思い、確かに成ると見えても、なおその失敗を慮る。万に一つも懸念が無ければ、極まで守って変えません。発するところを慎まないのは、たとえれば夜に的を狙うようなものです。だから物にふさわしくすることを貴びます。ああ、道具を持つことが難しいのではなく、その道具を使う者が難しいのです。
解説

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