呻吟語 / 内篇・應務・偏主の心有る可からず
遇事不妨詳問、廣問,但不可有偏主心。
新字:遇事不妨詳問、広問,但不可有偏主心。
書き下し
事に遇へば詳問・廣問を妨げず。但だ偏主の心有る可からず。
現代語訳
事に遭ったら、詳しく問い広く問うのは差し支えありません。ただ、あらかじめ肩入れする心を持ってはいけません。
解説
聞くことを勧めながら、一つだけ条件を付けます。先に立場を決めていないこと。決めてから問えば、都合のよい答えだけが集まります。詳しく広く問うほど、その偏りは強化されてしまう。調査の量ではなく、聞く前の姿勢が結果を決めるという指摘で、短いながら実務に直結する一段です。調査の量ではなく、聞く前の姿勢が結果を決めるのです。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
質問偏り先入観調査姿勢
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