呻吟語 / 内篇・問學・病根は只だ短を護るに在り
學者不長進,病根只在護短。聞一善言,不知不肯問;理有所疑,對人不肯問,恐人笑己之不知也。孔文子不恥下問,今也恥上問;顏子以能問不能,今也以不能問能。若怕人笑,比德山捧臨濟喝法壇對眾如何承受?這般護短,到底成個人笑之人。一笑之恥,而終身之笑顧不恥乎?兒曹戒之。
新字:学者不長進,病根只在護短。聞一善言,不知不肯問;理有所疑,対人不肯問,恐人笑己之不知也。孔文子不恥下問,今也恥上問;顏子以能問不能,今也以不能問能。若怕人笑,比徳山捧臨済喝法壇対眾如何承受?這般護短,到底成個人笑之人。一笑之恥,而終身之笑顧不恥乎?児曹戒之。
書き下し
學者の長進せざるは、病根只だ短を護るに在り。一善言を聞くも、知らずして肯へて問はず。理に疑ふ所有るも、人に對して肯へて問はず。人の己の知らざるを笑ふを恐るればなり。孔文子は下問を恥ぢず、今や上問を恥づ。顏子は能を以て不能に問ふ、今や不能を以て能に問ふ。若し人の笑ふを怕れば、一笑の恥にして、終身の笑ひは顧みて恥ぢざらんや。兒曹之を戒めよ。
現代語訳
学ぶ者が伸びないのは、病の根がただ自分の短所をかばうことにあります。善い言葉を聞いても、分からないのに問おうとしません。理に疑うところがあっても、人に向かって問おうとしません。知らないことを笑われるのを恐れるからです。孔文子は目下に問うのを恥じませんでしたが、今の人は目上に問うのを恥じます。顔回は能がありながら能の無い者に問いましたが、今の人は能が無いのに能ある者へ問いません。もし人に笑われるのを恐れるなら、それは一度の笑いの恥です。生涯にわたって笑われることは、かえって恥ずかしくないのでしょうか。若い者たちよ、これを戒めなさい。
解説
伸びない原因を、短所をかばうことに絞ります。そこから問わない癖が生まれ、知らないまま固まる。孔文子と顔回の例を挙げ、今の人がそれと逆であることを示します。そして最後の対比が効いています。一度笑われる恥と、一生笑われる恥。どちらを取るかと問われれば答えは明らかで、若い読者に直接呼びかけて終わります。若い読者に直接呼びかけて終わるのも印象的です。
この章句が説くこと
護短質問恥下問伸び悩み
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