呻吟語 / 内篇・應務・義に臨みて利害を計る莫かれ
臨義莫計利害,論人莫計成敗。
書き下し
義に臨みては利害を計る莫かれ、人を論ずるには成敗を計る莫かれ。
現代語訳
義に臨んでは損得を数えてはいけません。人を論ずるには成否を数えてはいけません。
解説
二つの場面で、数えてはならないものを示します。義の場では損得、人物評価では成否。どちらも最も数えやすく、最も判断を歪めるものです。とくに後半が重く、成功したかどうかで人を測れば、運に恵まれた者だけが評価されることになります。二十字足らずで、判断の軸を二つ守った一段です。成否で測れば、運に恵まれた者だけが評価されてしまいます。
この章句が説くこと
義利害人物成否評価
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『武士道』第三章 正義・赤穂四十七士に義の一字を冠す『人、鶏犬を放つ有れば、則ち之を求むるを知る。放心有れども求むるを知らず』と。吾人はここに、孟子の世を去る遠く、国を異にして生れ、『我は義の道なり、我によりて失はれたるものは見出さるべし』と説きたる大教師基督の譬喩の『鏡を以て見るごとく見ること昏然なる』面影を認め得べきに非ずや。ああ、されど予は岐論に馳せたり。唯だ云はん、孟子の所謂義とは、即ち人の失ひたる楽園を恢復すべき、直くして且つ狭き道なりと。封建の季世、武士は長時の泰平に馴れて、安逸遊惰の生活を楽しみ、従つて放肆懦弱に流れ、風流文雅に淫したりと雖、此時に当りて、なお義士たるの称は、学術技芸に長ずるの名に優ること遠しとしたり。されば赤穂四十七士に冠するに、義の一字を以てして、士は之を欽慕し、其芳烈美名は、徳教を維持するに、著大の効を有するに至れり。
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『墨子』尚同下今、此れ何ぞ人の上と為りて其の下を治むる能わず、人の下と為りて其の上に事うる能わざるや。則ち是れ上下相い殘なうなり。何の故を以て然るか。則ち義、同じからざればなり。若し茍くも義を同じくせざる者に黨有らば、上、若の人を以て善と為して、將に之を賞せんとするも、若の人は唯だ上の賞を得しめられて、百姓の毁を避く。是を以て善を為す者は、必ず未だ勸ましむ可からず、賞有るを見るとも。上、若の人を以て暴と為して、將に之を罰せんとするも、若の人は唯だ上の罰を得しめられて、百姓の譽を懷く。是を以て暴を為す者は、必ず未だ沮ましむ可からず、罰有るを見るとも。故に上の賞譽を訃るに、以て善を勸むるに足らず、其の毁罰を計るに、以て暴を沮むるに足らず。此れ何の故を以て
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