墨子 / 耕柱
巫馬子謂子墨子之為義也,人不見而耶,鬼不見而富,而子為之,有狂疾!」子墨子曰:「今使子有二臣於此,其一人者見子從事,不見子則不從事。其一人者見子亦從事,不見子亦從事,子誰貴於此二人?」巫馬子曰:「我貴其見我亦從事,不見我亦從事者。」子墨子曰:「然則是子亦貴有狂疾也。」
新字:巫馬子謂子墨子之為義也,人不見而耶,鬼不見而富,而子為之,有狂疾!」子墨子曰:「今使子有二臣於此,其一人者見子従事,不見子則不従事。其一人者見子亦従事,不見子亦従事,子誰貴於此二人?」巫馬子曰:「我貴其見我亦従事,不見我亦従事者。」子墨子曰:「然則是子亦貴有狂疾也。」
書き下し
巫馬子、子墨子に謂う、「之れ義を為すや、人、見ずして耶し、鬼、見ずして富ます。而るに子、之を為すは、狂疾有り」と。子墨子曰く、「今、子をして二臣を此に有らしめん。其の一人なる者は、子を見れば事に従い、子を見ざれば則ち事に従わず。其の一人なる者は、子を見るも亦た事に従い、子を見ざるも亦た事に従う。子、此の二人に於いて誰をか貴ばん」と。巫馬子曰く、「我れは其の我を見るも亦た事に従い、我を見ざるも亦た事に従う者を貴ばん」と。子墨子曰く、「然らば則ち是れ子も亦た狂疾有るを貴ぶなり」と。
現代語訳
巫馬子が墨子に言った。「あなたが義を行っても、人は見ていないし、鬼神が富ませてくれるわけでもない。それでもあなたがそれを行うのは、気が触れているのだ」。墨子が言った。「いまあなたに二人の家臣がいるとしよう。一人はあなたが見ていれば働き、見ていなければ働かない。もう一人はあなたが見ていても働き、見ていなくても働く。あなたはこの二人のどちらを貴ぶか」。巫馬子が言った。「私が見ていても見ていなくても働くほうを貴びます」。墨子が言った。「ならばあなたもまた、気が触れた者を貴んでいるのだ」。
解説
誰も見ていないのに義を行うのは狂気だ、という批判に、二人の家臣の話で答えます。相手が「見ていなくても働く者を貴ぶ」と答えた瞬間、その論法は自分に返る。誰も見ていないところで働く者を評価するなら、誰も見ていないところで義を行う者も同じだ、というわけです。相手の価値観を借りて反論する、墨子の得意な型です。
この章句が説くこと
誠実評価反論義無報酬
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