呻吟語 / 内篇・應務・事後の功業を見よ
天下事只怕認不真,故依違觀望,看人言為行止。認得真時,則有不敢從之君親,更那管一國非之,天下非之。若作事先怕人議論,做到中間一被謗誹,消然中止,這不止無定力,且是無定見。民各有心,豈得人人識見與我相同;民心至愚,豈得人人意思與我相信。是以作事君子要見事後功業,休恤事前議論,事成後眾論自息。即萬一不成,而我所為者,合下便是當為也,論不得成敗。
新字:天下事只怕認不真,故依違観望,看人言為行止。認得真時,則有不敢従之君親,更那管一国非之,天下非之。若作事先怕人議論,做到中間一被謗誹,消然中止,這不止無定力,且是無定見。民各有心,豈得人人識見与我相同;民心至愚,豈得人人意思与我相信。是以作事君子要見事後功業,休恤事前議論,事成後眾論自息。即万一不成,而我所為者,合下便是当為也,論不得成敗。
書き下し
天下の事は只だ認め真ならざるを怕る。故に依違觀望して、人言を看て行止と為す。認め得て真なる時は、則ち敢へて從はざるの君親有り、更に那ぞ一國之を非とし、天下之を非とするを管せん。若し事を作すに先づ人の議論を怕れ、中間に做し到りて一たび謗誹を被り、消然として中止せば、這れ定力無きに止まらず、且つ是れ定見無きなり。是を以て事を作す君子は事後の功業を見るを要し、事前の議論を恤ふるを休む。事成りて後は眾論自ら息む。
現代語訳
天下の事は、ただ本当だと認められないことだけを恐れます。だからぐずぐずと様子をうかがい、人の言葉を見て進退を決めるのです。本当だと認められた時には、あえて従わない君や親さえあるのに、まして一国が非難し天下が非難するのを、どうして構うでしょうか。もし事をなすのに先に人の議論を恐れ、途中まで進んで一度誹られただけで、しょげて中止するなら、それは定まる力が無いだけでなく、定まった見識も無いのです。だから事をなす君子は、事の後の功業を見るべきで、事の前の議論を気にしてはなりません。事が成れば世論は自然と止みます。
解説
この章句が説くこと
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