呻吟語 / 内篇・應務・自得者は天と遇ふ
字到不擇筆處,文到不修句處,話到不檢口處,事到不苦心處,皆謂之自得。自得者與天遇。
新字:字到不択筆処,文到不修句処,話到不検口処,事到不苦心処,皆謂之自得。自得者与天遇。
書き下し
字は筆を擇ばざる處に到り、文は句を修めざる處に到り、話は口を檢せざる處に到り、事は心を苦しめざる處に到る。皆な之を自得と謂ふ。自得者は天と遇ふ。
現代語訳
字は筆を選ばないところまで至り、文は句を練らないところまで至り、話は口を検めないところまで至り、事は心を苦しめないところまで至る。これらをみな自得と言います。自得した者は天と出会います。
解説
熟達の姿を、四つの場面で描きます。筆を選ばない、句を練らない、口を検めない、心を苦しめない。どれも手続きが要らなくなった状態です。前に出てきた、学びの完成は忘れることだという段と同じ到達点で、こちらは書や文や話という具体で示されます。そして自得した者は天と出会うと結ばれます。手続きが要らなくなった状態を、四つの場面で描いています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
熟達自得無作為天到達
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『呻吟語』外篇・天地・天を以て自ら處る吾人は渾て是れ一天なり。故に日用起居食は總て念念時時事事便ち當に天を以て自ら處るべし。
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