呻吟語 / 内篇・應務・己を枉げて人に徇ふ
為善而偏於所向,亦是病。聖人之為善,度德量力,審勢順時,且如發棠不勸,非忍萬民之死也,時勢不可也。若認煞民窮可悲,而枉巳徇人,便是欲矣。
新字:為善而偏於所向,亦是病。聖人之為善,度徳量力,審勢順時,且如発棠不勧,非忍万民之死也,時勢不可也。若認煞民窮可悲,而枉巳徇人,便是欲矣。
書き下し
善を為して向かふ所に偏るも、亦た是れ病なり。聖人の善を為すは、德を度り力を量り、勢を審らかにし時に順ふ。且つ棠を發くを勸めざるが如きは、萬民の死を忍ぶに非ざるなり、時勢の不可なればなり。若し民窮の悲しむ可きを認煞して、己を枉げて人に徇はば、便ち是れ欲なり。
現代語訳
善をなすにも、向かう先が偏ればそれも病です。聖人が善をなすときは、徳を測り力を量り、勢いを見極め時に順います。孟子が棠の倉を開けと再び勧めなかったのは、万民の死を平気で見ていたのではなく、時勢がそれを許さなかったからです。もし民の窮乏が悲しいと思い詰めるあまり、自分を曲げて人に従うなら、それはもう欲です。
解説
善行にも偏りの病があると言います。孟子が飢饉の倉を開けと二度は勧めなかった故事を引き、それを冷淡さではなく時勢の判断だとします。そして最後の一句が鋭く、同情のあまり自分を曲げれば、それは欲だと断じます。善意が自分を曲げる理由になった時点で私情になるという、厳しい線引きです。善意が自分を曲げる理由になった時点で、私情になるのです。
この章句が説くこと
善行偏り時勢同情私欲
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