呻吟語 / 内篇・應務・果決の人は忙しきに似たり
果決人似忙,心中常有餘閒;因循人似閒,心中常有餘累。
新字:果決人似忙,心中常有余閒;因循人似閒,心中常有余累。
書き下し
果決の人は忙しきに似たるも、心中常に餘閒有り。因循の人は閒なるに似たるも、心中常に餘累有り。
現代語訳
思い切りのよい人は忙しそうに見えますが、心の中にはいつも余った暇があります。ぐずぐずする人は暇そうに見えますが、心の中にはいつも余った負担があります。
解説
外から見た様子と、心の中身が逆になることを示します。決める人は忙しそうでも心が空いており、決めない人は暇そうでも心が塞がっている。決められない案件が心の中に積もり続けるからです。誰もが覚えのある感覚を、二十数字で言い当てた一段で、先延ばしの本当の代価を示しています。先延ばしの本当の代価を、二十数字で言い当てた一段です。
この章句が説くこと
決断先延ばし負担余裕内外
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