呻吟語 / 内篇・應務・胸中に一副極めて准なる秤尺有り
膚淺之見,偏執之說,傍經據傳也近一種道理,究竟到精處都是浮說陂辭。所以知言必須胸中有一副極准秤尺,又須在堂上,而後人始從。不然,窮年聚訟,其誰主持耶?
新字:膚浅之見,偏執之説,傍経拠伝也近一種道理,究竟到精処都是浮説陂辞。所以知言必須胸中有一副極准秤尺,又須在堂上,而後人始従。不然,窮年聚訟,其誰主持耶?
書き下し
膚淺の見、偏執の說も、經に傍り傳に據れば也た一種の道理に近し。究竟精處に到れば都て是れ浮說陂辭なり。所以に言を知るには必ず胸中に一副の極めて准なる秤尺有るを須ひ、又た須らく堂上に在りて、而る後に人始めて從ふ。然らずんば、窮年聚訟して、其れ誰か主持せんや。
現代語訳
浅はかな見方や偏った説でも、経書に寄り伝に拠れば、一種の道理のように見えます。しかし精しいところまで究めれば、みな浮ついた説と偏った言葉です。だから言葉を見分けるには、胸の中に極めて正確な秤と物差しがなければならず、さらに堂上に立って初めて人が従います。そうでなければ、年を重ねて訴え合っても、誰が取り仕切るのでしょうか。
解説
経書を引けば何でも道理らしく見えてしまう、という問題を突きます。だから引用の有無では判定できず、自分の中に正確な秤が要る。しかもそれだけでは足りず、堂上という立場も要ると言い添えます。正しさと権威の両方が揃わなければ議論は収まらない。理想論に流れない、実務感覚のある一段です。理想論に流れない、実務感覚のある一段になっています。
この章句が説くこと
判定秤引用権威議論
関連する章句
-
『甲陽軍鑑』品第十三去る程に鎌倉の公方を守護し奉る国々は相摸·武蔵·上野·下野·安房·上総·出羽·奥州·佐渡·越後·信濃·飛弾此国々の侍衆、大身·小身ともに悉く守護豊饒の様子なり、併公方世が世にてましますときより、上杉諸侍の棟梁と有る上意を承はつて推量候へば、諸国の侍大小皆此管領一人のさいはいを守る、両上杉とは申せども先山内殿を肝要に用ゆる故、結句後には公方をわきへなし奉り、十人は七人山内殿二人、扇谷へと申て、公方様へは漸々一人も出仕いたさずしてゐたるにより、公方の御仕合せ如此に候へども、山内殿に楯をつく侍一人としてなき故、少しも子細なく治る、
-
『呻吟語』外篇・聖賢・儒者は理を認むるを要す賢人の言は聖人に視ぶれば未だ病有るを免れず。此れ其の大較のみ。怪しむ可きは俗儒の是れ聖人の語と說くを見れば、便ち其の短を迴護して類を推して以て通を求め、是れ賢人の言と說くを見れば、便ち其の疵を洗索して文を深くして以て過を求むるなり。是の故に儒者は理を認むるを要す。理の在る所は、狂夫の言と雖も、聖人に異ならず。聖人豈に一時の感に出でて、當然不易の訓と為す可からざる者無からんや。
-
『墨子』節葬下今、昔者の三代の聖王の既に沒せしに逮び至りて、天下、義を失う。後世の君子、或いは厚葬久喪を以て仁と為し、義と為し、孝子の事と為す。或いは厚葬久喪を以て仁義に非ず、孝子の事に非ずと為す。曰く、二子なる者は、言は則ち相い非とし、行いは即ち相い反す。皆な曰く、「吾れ上は堯舜禹湯文武の道を祖述する者なり」と。而も言は即ち相い非とし、行いは即ち相い反す。此に於て後世の君子、皆な二子なる者の言に疑惑す。
-
『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。當に皆な其の父母に法らば奚若ん。天下の父母為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の父母に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の學に法らば奚若ん。天下の學を為す者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の學に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。當に皆な其の君に法らば奚若ん。天下の君為る者は衆けれども、仁なる者は寡し。若し皆な其の君に法らば、此の法は不仁なり。法、不仁なれば、以て法と為す可からず。故に父母・學・君の三者は、以て治法と為す可き莫し。
-
『学問のすゝめ』初編・人の貴きにあらず国法の貴きなりされば今より後は日本国中の人民に、生まれながらその身につきたる位などと申すはまずなき姿にて、ただその人の才徳とその居処とによりて位もあるものなり。たとえば政府の官吏を粗略にせざるは当然のことなれども、こはその人の身の貴きにあらず、その人の才徳をもってその役儀を勤め、国民のために貴き国法を取り扱うがゆえにこれを貴ぶのみ。人の貴きにあらず、国法の貴きなり。旧幕府の時代、東海道にお茶壺の通行せしは、みな人の知るところなり。そのほか御用の鷹は人よりも貴く、御用の馬には往来の旅人も路を避くる等、すべて御用の二字を付くれば、石にても瓦にても恐ろしく貴きもののように見え、世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながら、また自然にその仕来りに慣れ、上下互いに見苦しき風俗を成せしことなれども、畢竟これらはみな法の貴きにもあらず、品物の貴きにもあらず、ただいたずらに政府の威光を張り、人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて、実なき虚威というものなり。
-
『墨子』非命中今、夫れ有命者、言いて曰く、「我れ之を後世に作すに非ざるなり。昔三代より若き言有りて以て傳流せり」と。今、故に先王、之に對せんか。曰く、夫れ有命者は、昔の三代の聖善の人を志さざるか。意うに亡くば昔の三代の暴不肖の人か。何を以て之を知る。初めの列士・卿大夫は、言を慎み行を知り、此れ上は以て其の君長を規諌する有り、下は以て其の百姓を教順する有り。故に上は以て其の君長を規諌する有り、下は以て其の百姓を教順する有り。故に上は其の君長の賞を得、下は其の百姓の譽を得。列士・卿大夫の聲聞、廢れず、傳流して今に至る。而して天下、皆な其の力なりと曰う。一