呻吟語 / 内篇・問學・自家を降伏管攝するは難し
天下難降伏、難管攝底,古今人都做得來,不謂難事。惟有降伏管攝自家難,聖賢做工夫只在這裡。
新字:天下難降伏、難管摂底,古今人都做得来,不謂難事。惟有降伏管摂自家難,聖賢做工夫只在這裡。
書き下し
天下の降伏し難く、管攝し難き底は、古今の人都て做し得來たる。難事と謂はず。惟だ自家を降伏し管攝するのみ難し。聖賢の工夫を做すは只だ這裡に在り。
現代語訳
天下で従わせにくく取り締まりにくいものは、昔から今まで人がみな成し遂げてきました。難事とは言いません。ただ自分を従わせ取り締まることだけが難しい。聖賢が工夫をするのは、ただここにあります。
解説
天下の難事と自分の制御を比べ、後者のほうが難しいと言います。歴史上、外の難事は誰かが必ず成し遂げてきたのに、自分を治めることだけは成った人が少ない。比較の対象を歴史全体に取ることで、難しさの度合いがはっきりします。そして聖賢の工夫の場所がここ一点だとされ、力を注ぐ先が定まります。力を注ぐ先が、ここで一点に定まることになります。
この章句が説くこと
自制難事聖賢比較集中
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