呻吟語 / 内篇・問學・腳を亂す休め、眼を花かす休め
學問之道,便是正也,怕雜。不一則不真,不真則不精。入萬景之山,處處堪游,我原要到一處,只休亂了腳;入萬花之谷,朵朵堪觀,我原要折一枝,只休花了眼。
新字:学問之道,便是正也,怕雑。不一則不真,不真則不精。入万景之山,処処堪游,我原要到一処,只休乱了腳;入万花之谷,朵朵堪観,我原要折一枝,只休花了眼。
書き下し
學問の道は、便ち是れ正なり、雜なるを怕る。一ならざれば則ち真ならず、真ならざれば則ち精ならず。萬景の山に入れば、處處游ぶに堪へたり。我原と一處に到らんことを要す、只だ腳を亂す休め。萬花の谷に入れば、朵朵觀るに堪へたり。我原と一枝を折らんことを要す、只だ眼を花かす休め。
現代語訳
学問の道はまっすぐであることで、雑になるのを恐れます。一つにならなければ真にならず、真でなければ精しくなりません。万の景色のある山に入れば、どこも遊ぶに値します。しかし自分はもともと一か所に行こうとしているのだから、足を乱してはいけません。万の花のある谷に入れば、どの花も見るに値します。しかし自分はもともと一枝を折ろうとしているのだから、目を眩ませてはいけません。
解説
学びの道が逸れる理由を、誘惑の質から説明します。山のどの景色も本当に良く、谷のどの花も本当に美しい。悪いものに引かれるのではなく、良いものが多すぎて逸れるのです。だから目的をあらかじめ一つに定めておけ、と。足を乱すな、目を眩ますなという二つの禁止が、実に具体的な戒めになっています。足を乱すな、目を眩ますなという二つの禁止が効いています。
この章句が説くこと
専一誘惑目的逸脱選択
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