呻吟語 / 内篇・問學・一事に一事の上達有り
上達無一頓底。一事有一事之上達,如灑掃應對,食息起居,皆有精義入神處。一步有一步上達,到有恒處達君子,到君子處達聖人,到湯、武聖人達堯、舜。堯、舜自視亦有上達,自歎不如無懷葛天之世矣。
新字:上達無一頓底。一事有一事之上達,如灑掃応対,食息起居,皆有精義入神処。一歩有一歩上達,到有恒処達君子,到君子処達聖人,到湯、武聖人達堯、舜。堯、舜自視亦有上達,自嘆不如無懐葛天之世矣。
書き下し
上達に一頓底無し。一事に一事の上達有り。灑掃應對、食息起居の如きも、皆な精義入神の處有り。一步に一步の上達有り。有恒の處に到れば君子に達し、君子の處に到れば聖人に達し、湯・武の聖人に到れば堯・舜に達す。堯・舜も自ら視れば亦た上達有り。自ら無懷葛天の世に如かざるを歎ず。
現代語訳
高みに達するのに一足飛びはありません。一つの事にはその事なりの上達があります。掃除や応対、食事や休息や起き伏しにも、みな義を精しくし神に入るところがあります。一歩にはその一歩なりの上達があります。常を保つところまで来れば君子に達し、君子のところまで来れば聖人に達し、湯王武王の聖人まで来れば堯舜に達します。堯舜でさえ、自分から見ればなお上達があり、無懐氏や葛天氏の世に及ばないと嘆きました。
解説
上達を、階段の一段一段として描きます。掃除にも応対にも上達があり、聖人にもさらに上がある。しかも堯舜でさえ、もっと古い世に及ばないと嘆いたとして、天井が無いことを示します。一足飛びを否定する一方で、どんな小さな事にも上達の余地があるとする。前に出てきた、下学上達は二段構えではないという主張の具体化です。
この章句が説くこと
上達階段日常天井漸進
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