呻吟語 / 内篇・談道・悟に頓有り、修に頓無し
悟有頓,修無頓。立志在堯,即一念之堯;一語近舜,即一言之舜;一行師孔,即一事之孔,而況悟乎?若成一個堯、舜、孔子,非真積力充、斃而後已不能。
書き下し
悟に頓有り、修に頓無し。志を堯に立つれば、即ち一念の堯なり。一語舜に近ければ、即ち一言の舜なり。一行孔を師とすれば、即ち一事の孔なり。而るを況んや悟をや。若し一個の堯・舜・孔子を成さば、真積力充ち、斃れて後已むに非ざれば能はず。
現代語訳
悟りには一気に開けることがありますが、修行に一気はありません。志を堯に立てれば、その一念だけは堯です。一言が舜に近ければ、その一言だけは舜です。一つの行いで孔子を師とすれば、その一事だけは孔子です。まして悟りならなおさらです。しかし一人の堯や舜や孔子になろうとするなら、積み重ねが本物になり力が満ち、死んでようやく終わるというところまで行かなければできません。
解説
悟りは一瞬でも、修行は一瞬では終わらないという区別です。面白いのは中ほどで、志を立てたその一念だけは堯であり、その一言だけは舜だと認めるところ。小さな達成をきちんと数えています。そのうえで、一人の聖人になるには死ぬまでかかると告げる。励ましと突き放しが同居した一段で、今日の一事を数えつつ、終わりは無いと知る構えになります。
この章句が説くこと
悟り修行積み重ね志一念
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