呻吟語 / 内篇・修身・愈いよ點檢すれば愈いよ非有るを覺ゆ
愈進修愈覺不長,愈點檢愈覺有非。何者?不留意作人,自家盡看得過;只日日留意向上,看得自家都是病痛。那有些好處?初頭只見得人欲中過失,到久久又見得天理中過失,到無天理過失則中行矣。又有不自然、不渾化、著色吃力過失,走出這個邊境才是聖人,能立無過之地。故學者以有一善自多、以寡一過自幸,皆無志者也。急行者只見道遠而足不前,急耘者只見草多而鋤不利。
新字:愈進修愈覚不長,愈点検愈覚有非。何者?不留意作人,自家尽看得過;只日日留意向上,看得自家都是病痛。那有些好処?初頭只見得人欲中過失,到久久又見得天理中過失,到無天理過失則中行矣。又有不自然、不渾化、著色吃力過失,走出這個辺境才是聖人,能立無過之地。故学者以有一善自多、以寡一過自幸,皆無志者也。急行者只見道遠而足不前,急耘者只見草多而鋤不利。
書き下し
愈いよ進修すれば愈いよ長ぜざるを覺え、愈いよ點檢すれば愈いよ非有るを覺ゆ。何ぞや。人と作るに意を留めざれば、自家盡く看過し得。只だ日日意を留めて上に向かへば、自家都て是れ病痛なるを看得。初頭は只だ人欲中の過失を見得、久久に到りて又た天理中の過失を見得。天理の過失無きに到れば則ち中行なり。故に學者の一善有るを以て自ら多しとし、一過を寡くするを以て自ら幸ひとするは、皆な志無き者なり。急行する者は只だ道の遠くして足の前まざるを見、急耘する者は只だ草の多くして鋤の利ならざるを見る。
現代語訳
修めれば修めるほど伸びていないと感じ、点検すれば点検するほど非があると感じます。なぜでしょうか。人としてのあり方に気を留めなければ、自分では何もかも見過ごせるからです。日々気を留めて上へ向かえば、自分がどこも病だらけだと見えてきます。初めは欲の中の過ちだけが見え、長くなると天理の中の過ちまで見えてきます。天理の過ちが無くなればそれが中行です。だから学ぶ者が一つの善を多いとし、一つ過ちを減らしたのを幸いとするのは、みな志の無い者です。急いで行く者は道の遠さと足の進まなさだけを見、急いで草を取る者は草の多さと鋤の切れなさだけを見ます。
解説
この章句が説くこと
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