呻吟語 / 内篇・談道・下學上達は兩截の工夫ならず
形而上與形而下,不是兩般道理;下學上達,不是兩截工夫。
新字:形而上与形而下,不是両般道理;下学上達,不是両截工夫。
書き下し
形而上と形而下とは、兩般の道理ならず。下學上達は、兩截の工夫ならず。
現代語訳
形の上のことと形の下のことは、二通りの道理ではありません。手近なことを学んで高いところに至るというのも、二段構えの努力ではありません。
解説
高い理屈と身近な実践を、別々の階に分けるのをやめよという一段です。下から学んで上に達するという言い方は、下の段を終えてから上の段に進むように聞こえますが、呂坤はそれを否定します。同じ一つの努力の、見え方が違うだけだ、と。日々の雑事を片づけながら道に至るのであって、雑事が終わってから道が始まるのではないのです。
この章句が説くこと
形而上形而下下学実践一貫
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