呻吟語 / 内篇・談道・下學は其の達する所を學ぶ
下學學個什麼?上達達個什麼?下學者,學其所達也;上達者,達其所學也。
新字:下学学個什麼?上達達個什麼?下学者,学其所達也;上達者,達其所学也。
書き下し
下學は個の什麼をか學ぶ、上達は個の什麼をか達す。下學なる者は、其の達する所を學ぶなり。上達なる者は、其の學ぶ所に達するなり。
現代語訳
下学とは何を学ぶのか、上達とは何に達するのか。下学とは、達する先のものを学ぶことです。上達とは、学んだところに達することです。
解説
論語の下学上達が、二つの動詞の関係として解かれます。下学は達する先を学ぶこと、上達は学んだところに達すること。つまり内容は同じで、向きが違うだけだ、と。手前の学びと高みへの到達を別のものと考えると行き詰まりますが、同じ一つのものだと分かれば、日々の学びがそのまま高みにつながります。手前の学びを軽んじる気持ちが、この一段で消えるようになっています。
この章句が説くこと
下学上達同一向き連続
関連する章句
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『呻吟語』内篇・談道・下學上達は兩截の工夫ならず形而上と形而下とは、兩般の道理ならず。下學上達は、兩截の工夫ならず。
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『呻吟語』内篇・問學・只だ下學を說く可し學者は只だ該に下學を說くべし。更に上達を說くを消ひず。其の未だ達せざるや、空しく你が說くを勞す。其の既に達するや、你が說くを須ひず。故に一貫は惟だ參・賜のみ與に可なり。又た語る可きの地位に到りて、才かに語る。又た一個には之を直語し、二個には之を啟語す。便ち孔子の人を誨ふるの妙處を見る。
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『呻吟語』内篇・問學・一事に一事の上達有り上達に一頓底無し。一事に一事の上達有り。灑掃應對、食息起居の如きも、皆な精義入神の處有り。一步に一步の上達有り。有恒の處に到れば君子に達し、君子の處に到れば聖人に達し、湯・武の聖人に到れば堯・舜に達す。堯・舜も自ら視れば亦た上達有り。自ら無懷葛天の世に如かざるを歎ず。
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伝習録・陸澄録上達の工夫を問う。先生曰く、「後儒の人に教うるは、纔かに精微に渉れば、便ち『上達』は未だ学ぶに当たらずと謂い、且く『下学』を説く。是れ『下学』『上達』を分ちて二と為すなり。夫れ目もて見るを得べく、耳もて聞くを得べく、口もて言うを得べく、心もて思うを得べき者は、皆な『下学』なり。目もて見るを得べからず、耳もて聞くを得べからず、口もて言うを得べからず、心もて思うを得べからざる者は、『上達』なり。木の栽培灌漑するが如きは、是れ『下学』なり。日夜の息する所、条達暢茂するに至りては、乃ち是れ『上達』なり。人、安くんぞ能く其の力に預らんや。故に凡そ功を用うべく、告語すべき者は、皆な『下学』なり。『上達』は只だ『下学』の裏に在り。凡そ聖人の説く所は、極めて精微なりと雖も、俱に是れ『下学』なり。学者は只だ『下学』の裏より功を用うれば、自然に『上達』し去る。別に個の『上達』の工夫を尋ぬるを必せず」と。
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論語・憲問篇子曰く、君子は上達し、小人は下達す。
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