呻吟語 / 内篇・問學・乾蓮肉を食らふ者
向與二三子暑月飲池上,因指水中蓮房以談學問曰:「山中人不識蓮,於藥鋪買得乾蓮肉,食之稱美。後入市買得久摘鮮蓮,食之更稱美也。」余歎曰:「渠食池上新摘,美當何如?一摘出池,真味猶漓,若臥蓮舟挽碧筒就房而裂食之,美更何如?今之體認皆食乾蓮肉者也。又如這樹上胡桃,連皮吞之,不可謂之不吃,不知此果須去厚肉皮,不則麻口;再去硬骨皮,不則損牙;再去瓤上粗皮,不則澀舌;再去薄皮內萌皮,不則欠細膩。如是而漬以蜜,煎以糖,始為盡美。今之工夫,皆囫圇吞胡桃者也。如此體認,始為精義入神;如此工夫,始為義精仁熟。」
新字:向与二三子暑月飲池上,因指水中蓮房以談学問曰:「山中人不識蓮,於薬鋪買得乾蓮肉,食之称美。後入市買得久摘鮮蓮,食之更称美也。」余嘆曰:「渠食池上新摘,美当何如?一摘出池,真味猶漓,若臥蓮舟挽碧筒就房而裂食之,美更何如?今之体認皆食乾蓮肉者也。又如這樹上胡桃,連皮吞之,不可謂之不吃,不知此果須去厚肉皮,不則麻口;再去硬骨皮,不則損牙;再去瓤上粗皮,不則澀舌;再去薄皮内萌皮,不則欠細膩。如是而漬以蜜,煎以糖,始為尽美。今之工夫,皆囫圇吞胡桃者也。如此体認,始為精義入神;如此工夫,始為義精仁熟。」
書き下し
向に二三子と暑月池上に飲み、因りて水中の蓮房を指して以て學問を談じて曰く、「山中の人蓮を識らず、藥鋪に於て乾蓮肉を買ひ得て、之を食らひて美と稱す。後に市に入りて久しく摘める鮮蓮を買ひ得て、之を食らひて更に美と稱す」と。余歎じて曰く、「渠池上の新摘を食らはば、美なること當に何如ならんや。一たび摘みて池を出づれば、真味猶ほ漓し。若し蓮舟に臥し碧筒を挽きて房に就きて之を裂きて食らはば、美なること更に何如ならん。今の體認は皆な乾蓮肉を食らふ者なり」と。
現代語訳
以前、二三人と夏の池のほとりで飲んでいて、水中の蓮の実を指して学問を語りました。山の人は蓮を知らず、薬屋で乾いた蓮の実を買って食べ、美味だと言う。後に町で、摘んでから時の経った生の蓮を買って食べ、さらに美味だと言う。私は嘆じて言いました。彼が池のほとりで摘みたてを食べたら、どれほど美味でしょうか。ひとたび摘んで池を出れば、本当の味は薄れます。もし蓮の舟に寝そべり、蓮の茎を引き寄せ、実の房を割いて食べたら、どれほど美味でしょうか。今の体認は、みな乾いた蓮の実を食べている者です。
解説
この章句が説くこと
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