呻吟語 / 内篇・問學・饑ゑて始めて粟を種う
如此作人,只是一塊頑肉,成甚學者。即有聰明材辨之士,不過學眼前見識,作口頭話說,妝點支吾亦足塞責。如此作人,只是一場傀儡,有甚實用。修業盡職之人,到手未嘗不學,待汝學成,而事先受其敝,民已受其病,尋又遷官矣。譬之饑始種粟,寒始紡綿,怎得奏功?此凡事所以貴豫也。
新字:如此作人,只是一塊頑肉,成甚学者。即有聰明材弁之士,不過学眼前見識,作口頭話説,妝点支吾亦足塞責。如此作人,只是一場傀儡,有甚実用。修業尽職之人,到手未嘗不学,待汝学成,而事先受其敝,民已受其病,尋又遷官矣。譬之饑始種粟,寒始紡綿,怎得奏功?此凡事所以貴予也。
書き下し
此の如く人と作るは、只だ是れ一塊の頑肉なり、甚の學者をか成さん。即ち聰明材辨の士有るも、眼前の見識を學び、口頭の話說を作し、妝點支吾して亦た責を塞ぐに足るに過ぎず。此の如く人と作るは、只だ是れ一場の傀儡なり、甚の實用か有らん。業を修め職を盡くすの人は、手に到りて未だ嘗て學ばずんばあらず。汝が學び成るを待ちて、事は先に其の敝を受け、民は已に其の病を受け、尋いで又た官を遷る。之を譬ふれば饑ゑて始めて粟を種ゑ、寒くして始めて綿を紡ぐがごとし。怎ぞ功を奏するを得ん。此れ凡そ事の豫を貴ぶ所以なり。
現代語訳
こんなふうに生きるのは、ただ一塊の鈍い肉であって、何の学ぶ者でしょうか。たとえ聡明で弁の立つ士であっても、目先の知識を学び、口先の話をこしらえ、体裁を整えて言い逃れ、責めを塞ぐ程度にすぎません。こんなふうに生きるのは、ただ一幕のあやつり人形であって、何の実用があるでしょうか。業を修め職を尽くす人は、任に就いてから学ばないことはありません。しかしあなたが学び終えるのを待つあいだに、事はすでに損なわれ、民はすでに病み、そのうちまた転任してしまいます。たとえれば、飢えてから粟を蒔き、寒くなってから綿を紡ぐようなものです。どうして功を奏せるでしょうか。これがあらゆる事で前もっての備えを貴ぶ理由です。
解説
任に就いてから学べばよいという考えを、時間の計算で崩します。学び終えるまでに事は損なわれ、民は病み、そのうち転任してしまう。飢えてから種を蒔くという比喩が実に的確です。前の段の、用いられたら何をするかを日ごろ考えよという議論の続きにあたり、備えを前倒しする理由が、被害を受ける側の時間から示されています。
この章句が説くこと
備え前倒し任時間実用
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孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「仁なれば則ち榮え、不仁なれば則ち辱めらる。今辱めらるるを惡んで不仁に居るは、是れ猶ほ濕を惡んで下きに居るがごときなり。如し之を惡まば、徳を貴びて士を尊ぶに如くは莫し。賢者位に在り、能者職に在り、國家閒暇なりとせん。是の時に及びて其の政刑を明らかにせば、大國と雖も、必ず之を畏れん。詩に云う、『天の未だ陰雨せざるに迨(およぶ)んで、彼の桑土を徹(とる)り、牖(ユウ)戶を綢繆す。今此の下民、敢て予を侮どること或らんや。』孔子曰く、『此の詩を為りし者は、其れ道を知れるか。』能く其の國家を治めば、誰か敢て之を侮らん。今國家閒暇なりとせん。是の時に及んで般樂怠敖せば、是れ自ら禍を求むるなり。禍ᐻは己自り之を求めざる者無し。詩に云う『永く言、命を配し、自ら多ᐻを求む。』太甲に曰く、『天の作せる孼は猶ほ違く可し。自ら作せる孼は活く可からず。』此を之れ謂うなり。」
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尚書・說命中惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
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葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
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